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「決闘で勝ったほうが正しい」時代から「戦争と法」はどう進歩したのか

カミュ『正義の人びと』が指し示す 戦争の道徳的ディレンマ

2020/07/31

カミュの戯曲『正義の人びと』で描いた道徳的ディレンマ

――そうすると、戦争をめぐる法もまた基本権に近いもので、その都度人に考えることを要求するんですね?

長谷部 その通りです。極限的な状況下ではルールどおりにしてれば大丈夫というわけにはいかない事態が数多く生じます。そこで起こる道徳的ディレンマをめぐって、『ペスト』の2年後に発表されたカミュの戯曲『正義の人びと』(白井健三郎訳、新潮社)は、非常に示唆に富んでいます。この戯曲は、革命運動を弾圧する恐怖政治の中心人物、セルゲイ大公の暗殺を企てるロシアのテロリストを描いたものです。主人公のカリャーエフは、セルゲイ大公の乗った馬車を待ち伏せし、爆破しようとしますが、実行のまさにそのとき、馬車に乗っているのが大公1人ではなく、彼の幼い甥と姪も乗っていることに気づき、暗殺を躊躇します。

 彼のためらいに、「破壊するにも、ひとつの秩序があるわ、限界ってものがあるわ」と理解を示す同志もいれば、「殺さなかったばかりに、ロシアの幾千の子供たちがこれから何年も餓え死してゆく」と非難する者もいる。そして最終的に暗殺に成功した彼の独房を訪れた大公妃は、「あのひとは、すくなくとも、百姓たちを愛していました。一緒にお酒も呑んでいました。それなのに、お前はあのひとを殺した。どうしたって、お前も正しくはありません。この世はすさみきっています」と痛烈な言葉を浴びせかける。

©山元茂樹/文藝春秋

 いったい何が正義なのか、正義の実現のために子供を巻き込んで殺すことは是か非か、それこそ大義があれば空爆やドローン狙撃で市民が巻き込まれることは許されるのかといった、激しい道徳的ディレンマが生じるわけです。

 何を正しい答えとするかは、人それぞれの価値観によって異なり、必ず衝突します。しかし「比較不能の価値」のなかでどれかを選択せざるをえない。選択することを通じて自分がどういう人間なのかを自分で選んでいると言ってもいいでしょう。しかし選んだからといってなんの悔いも残らないわけではない。悔いは残りながらも選択をする。人間というのは死ぬまでそうなんだと思います。

「戦争のほうでは君たちに関心がある」

――そういう場面では少なくとも、すべてを一元化して功利主義的に判断する人よりも、ためらい、悩む人のほうが信頼できる気がします。

長谷部 そういう人のほうが人間らしい人間だと思います。比較不能な価値観が衝突する世界において、「正しいこと」「望ましいこと」をすべて同時に満足させることはできません。こと戦争においてはそのディレンマが突きつけられます。

©山元茂樹/文藝春秋

 近代立憲主義の理念はひとりひとりが自らの頭で考え、判断することを要求します。法と戦争の関係を問い直すことは、比較不能な価値において自分はなにを選択するかという思考を深く促すものとなるでしょう。戦争や安全保障の問題は単純な話ではありません。日本の9条の問題もしかり、簡単でない問題をさも簡単であるように扱ったり、学ぼうとしないで安易な結論を出したりすることは避けるべきです。戦争なんてあまり興味がないよという方には、最後にトロッキーの言葉を贈りたいと思います。

「君たちは戦争に関心がないかもしれないが、戦争のほうでは君たちに関心がある」

 私たちが無自覚なまま戦争に絡めとられてしまうことがないよう、学び続けなくてはならない理由はここにあるのです。

戦争と法

長谷部 恭男

文藝春秋

2020年7月30日 発売

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