文春オンライン

タモリ75歳に 「もう死んでください。あとがつかえてます」ナイナイ岡村の“冗談”にどう反論した?

2020/08/22
note

 先の『アサヒ芸能』の記事では、40歳をすぎたら、自分のバカさ加減が見えてくるとともに、他人についてもおのおの努力してるのだと思えるようになり、ギャグでも人の悪口を言えなくなったとも告白していた(※5)。『いいとも!』が始まって以降、タモリから毒が失われたとの声も高まっていたが、そこには本人の心境の変化もあったらしい。ただ、いくら批判されようとも、マイペースぶりは相変わらずだった。『いいとも!』が以後も回数を重ねるにつれ、批判もいつしか消えていくことになる。

「経団連も俺に講演を頼みに来ないとね」55歳の自負(2000~01年)

 55歳になる2000年前後には、タモリが熱心な鉄道ファンであることが徐々に世に知られつつあり、『タモリ倶楽部』でもやがて鉄道企画が続出するようになる。このころ応えた雑誌の取材では、『タモリ倶楽部』について《東京の山を登る、江戸の地図を巡る、これボクの企画だったけど評判悪くてね(笑)》と語っているが(※6)、むしろ、その後の同番組ではそうした企画こそ主流になっていった。

『いいとも!』もスタートから20年近くが経ち、タモリはますます肩の力を抜いて出演するようになっていた。それというのも、レギュラー陣からSMAP(当時)の中居正広など、自分以外に進行を任せられるタレントが育っていたからだ。これについてタモリは当時、次のような自負ともとれる発言をしている。

ADVERTISEMENT

《共演者は皆、できる人ばかりですからね。仕切りでも何でもやってもらわないと。俺の1コーナーのボケは2回まで。どんな組織でも、社長が営業から広報までやるようじゃダメでしょ。全部自分でやらないで、下にやらせて楽をする。これが組織をデカくする近道。誰か俺をモデルに会社経営法でも書かないかなと思うくらいです。経団連も講演を頼みに来るぐらいじゃないとね。理想の経営者に俺の名前を挙げない社会だから、日本経済はダメになるんですよ(笑い)》(※7)

『笑っていいとも!』放送5000回を超え、ギネスに認定された(2002年撮影)

 べつのところでは今後について訊かれ、《“いいとも”もいつまで続くんですかね(笑)。なんら未定ですよ。エーッ、リタイア? 考えたこともないな。あるときボッとやめるかもしれないし。要するに何も考えてないんですね。物事も人生も(笑)》と、35歳のときと何ら変わらない答えで返していた(※6)。『いいとも!』は結局、このあとなお10年以上も続くことになる。