“あの人”の姿をテレビで見なくなってから20年が経つ。当時、あの人は還暦前の58歳。まだ十分に人気はあり、体力・気力も残しての引退だった。

 あの人――元タレントの上岡龍太郎は、芸能界を引退すると2年前から公言していた。とはいえ、その日が来るまで仕事の関係者も含めて、ほとんどの人が半信半疑だった。何しろ、彼が前言を撤回することは珍しくなかったからだ。たとえば、それまでさんざんゴルフの悪口を言っていたのに、自分で始めたとたんにすっかり夢中になってしまった。引退する際には、プロゴルファーになるとも宣言し、実際に米サンディエゴのゴルフアカデミーにも留学している。だが、結局この宣言も実現にはいたらなかった。引退後にはまた、2003年の大阪市長選に出馬するという計画も立てていたが、これものちに「才能がないのに気づいた」と撤回している(※1)。

3月20日に78歳の誕生日を迎えた上岡龍太郎。20年前、2000年4月に芸能界から引退した。写真は1997年撮影

 前言をひるがえしては意見をころころ変えた上岡は、非難されることもあったが、そのたびに彼は「人間は成長するものだ」とうそぶいた。引退を発表しても、彼一流のジョークと受け止めた人が多かったのは、そんな彼の性格を知っていたからである。

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3月20日は上岡78歳の誕生日

 だが、大方の予想に反して、上岡は2000年4月に引退したきり、芸能界には復帰せず、現在にいたっている。きょう3月20日はその上岡の78歳の誕生日である。彼の初舞台は18歳の誕生日の翌日、1960年3月21日に、ロカビリーバンド「田川元祥とリズムワゴンボーイズ」付きの司会者として出演した地元・京都での「守屋浩ショー」だった。そのため引退する時期も、当初は芸能生活40周年の節目となる2000年3月を予定していたが、大阪・松竹座から4月公演を『上岡龍太郎引退記念 かわら版 忠臣蔵』として開催したいとの申し出を受け、ひと月延びた。4月25日の千秋楽の終演後、テレビ局の密着取材を受けながら、上岡は《これでもうホンマに引退せな、しゃーなくなってもうた。ウソやのにィ……冗談や……[引用者注:落語家の桂]米朝師匠まで来たらいかんわ……》と独り言のように答え、照れを隠したという(※2)。