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タモリ74歳、たけし73歳は現役なのに 20年前、なぜ上岡龍太郎は58歳できっぱり引退できた?

タモリ74歳、たけし73歳は現役なのに 20年前、なぜ上岡龍太郎は58歳できっぱり引退できた?

2020/03/20
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大阪府知事にもなった“あの芸人”との出会い

©文藝春秋

 上岡がバンドの司会者としてデビューしながら、笑いの道に進んだのは、初舞台から5カ月ほどして漫才師の横山ノックと出会ったためである。ちょうど10歳上の横山は、それまでのコンビを解散し、次は若い人と組もうとしていた。そこで上岡が誘われ、新たな相方となったのだが、うまくツッコミができない。ここからマネージャーの提案でツッコミを2人で担当するトリオ漫才に変更、上岡のバンド仲間だった轟盛次を引き入れ、轟がフック、上岡がパンチを名乗って「漫画トリオ」の結成にいたる。

 のちにフックは2代目(現・青芝フック)に交代し、漫画トリオはリズム感とスマートさを売りにした時事風刺漫才で一世を風靡する。「パンパカパーン、今週のハイライト!」のフレーズは流行語になった。だが、1968年に横山が参院選に出馬したのをきっかけに漫画トリオは活動を休止する。ここから横山パンチこと小林龍太郎(本名)は個人での活動に転じ、芸名も婿養子だった父の旧姓をとって上岡龍太郎と改めた(ただしこの間、一部の仕事では伊井パンチという芸名を用いた)。大阪と名古屋のラジオ番組でひとりしゃべりの術を磨きながら、しだいに人気を集めるようになる。

 このころ上岡は、番組内でハガキを読んだりする前に思わず「え~」と言ってしまうのを、ラジオ大阪のディレクターから指摘され、もう絶対に会話のなかで「え~」とは言わないと決めた。代わって彼がしゃべり出すときに口にするようになったのが、常套句や和歌・俳諧など昔から言い古されているような言葉だった(※2)。ここから流暢な話術と博覧強記に支えられた“上岡節”が編み出されていく。

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横山ノックと談笑する上岡龍太郎(1997年撮影) ©文藝春秋

『探偵!ナイトスクープ』で全国ブレイク

 横山ノックとは1975年に関西テレビで始まったトーク番組『ノックは無用!』でともに司会者として再びコンビを組み、22年間続く長寿番組となった。1987年には笑福亭鶴瓶と組んだ『鶴瓶 上岡パペポTV』(読売テレビ)がスタートする。鶴瓶の話に揚げ足をとるようにツッコミを入れつつ、ときどき上岡もボケて逆に鶴瓶からツッコまれたりと、まさに2人は名コンビであった。翌年には探偵局長を務める『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)も始まり、上岡の評判は東京にも伝わっていく。1990年代に入るころには東京の民放キー局でも多くの冠番組を持つようになり、全国区のタレントとしてブレイクした。