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2020/03/20

©文藝春秋

 テレビの世界も変わりつつあった。上岡は引退後のインタビューで、俳優の藤田まことの言っていたこととして、最近のテレビバラエティがだめになったのは出演者が仲良しだけでやっているからだと指摘、そのうえで自分にはもう出番はないと思うと述べている。

《例えば、ぼくが坂田利夫とか横山ノックやったら、まだ出る場所があったと思うんですよ。(中略)バラエティでボケのおじいちゃんは可愛がられる。けど、それはぼくのニンではない。出たら文句のひとつも言うやろうしね。ぼくらみたいなタイプが出て行っても、ただもううっとうしいだけでね、笑いにはならんと思うんですよ》(※4)

 結局、彼に引退を決意させたのは、自分の老いも、テレビ・芸能界での自分の立場も、すべてを客観的に見抜いてしまうその性格だったのかもしれない。

58歳で引退してから何をしているのか?

 引退後の上岡は、アメリカから帰国して以降もゴルフのレッスンに励み、好きな芝居や落語家の会に自らチケットをとっては足繁く通ったり、読書をしたりと、悠々自適の生活を送っているようだ(※1)。この間、弔辞で故人の思い出をユーモアたっぷりに語って話題を呼んだ横山ノックの葬儀(2007年)など、一部の例外を除いて表舞台に出てきたことはない。

 一方で、上岡は表舞台に出てこないからこそ、存在感を増したところもある。SNSではいまなお彼の過去の発言がよく引用されるし、最近では兄弟漫才のミキの伯父としても知られる。2013年には、作家の戸田学が本人にも取材して『上岡龍太郎 話芸一代』を著し、その芸を再評価した。上岡自身も、ラジオの元ディレクターで、彼の独演会の脚本・演出も手がけた弟子(加藤)吉治郎による聞き書きという形でいくつか著書を出している。その1冊、『“隠居”のススメ』において上岡は、自分の半生はけっして思い通りに来たわけではない「思いも寄らない人生」だったと振り返っている。そもそも少年時代は俳優や歌手に憧れながら、実際になったのは、自分の選択肢にはなかった漫才師だった。そこで思いもかけない成功を収めたかと思うと、漫画トリオの活動休止後は、テレビ・ラジオの司会者というこれまた思いも寄らないジャンルで活動することになった。そんな経験を踏まえて、彼は若い世代に向けてメッセージを送る。ちょっと長くなるが、引用したい。