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小林 哲夫
2017/09/13

「灘高校1979年卒」の神童は、大人になってどうなったのか?

勝谷誠彦、和田秀樹、中田考は新・警視総監と同級生

関西のお笑いの雰囲気をかもし出す、灘神童79年卒業組

 宮園と灘高時代に成績を競い合ったのが井内摂男、西川知一郎。灘高文系トップ3と言われた。なかでも井内は駿台、Z会などで上位成績者に登場し、同年代の受験生にとってはヒーローだった。神童・勝谷も小学校時代に井内をどうしても超えられなかったと振り返る。井内は経産省官僚となった。中部経済産業局長時代、「地方創生コンシェルジュ」と銘打って、地域発展の陣頭指揮をとった。50代半ばにすっかり悪名高い内閣府の知的財産戦略推進事務局長に就任。やはり最近、退職した。安倍、菅体制がいやになったのか。

 西川は法曹の世界に入った。現在の肩書きは福岡高裁宮崎支部部総括判事である。最近では、九州電力川内原子力発電所の再稼働に反対する住民側の申し立てを退けている。原発容認派裁判官として、原発反対派から嫌われてしまう。

 西川とは法廷で顔を合わせることがあるかも知れないのが弁護士の伊藤芳朗だ。

 1990年代半ば、オウム真理教事件ではワイドショーに出ずっぱりだった。タレント弁護士的な役回りを果たしたが、テレビ番組制作に肩入れしすぎてしまう。番組の依頼で弁護士の立場を利用し、戸籍謄本などを不正に取得して金銭を受け取ったとされ、東京弁護士会から業務停止4カ月の懲戒処分を受けてしまった。どこか憎めない。

飯泉嘉門氏 ©文藝春秋

 吉田、宮園、井内、西川、伊藤は灘らしくすべて東京大法学部卒。飯泉嘉門もそのお仲間だ。飯泉は自治省官僚を経て、2003年から徳島県知事を4期つとめる。県知事選の公約にJリーグに加盟するチームを作ることを掲げている。自治省時代、2002年のワールドカップで試合会場となった新潟県や埼玉県に出向したとき、地域活性化を目の当たりにしたからという。それが、現在のJ2チーム、「徳島ヴォルティス」だ。勝谷と灘知事会は作れなかった。

 ついでにもう1人。勝谷が灘中学に入学早々のこと、通学途中で「会社四季報」を読みながらぶつぶつ呟いている、一学年上の中坊を見かけた。のちの村上ファンドである。やや都市伝説っぽいが、村上世彰は78年卒。1年浪人して東京大法学部へ進み、通産省を経て、M&Aコンサルタント会社を興す。インサイダー取引で逮捕歴はあるが、いまでも意気揚々だ。最近、『生涯投資家』(文藝春秋)を上梓して上場企業のあり方を問いかける。もの申す姿勢は変わらず、なかなか懲りない。

 こうした灘神童の面々は社会にどんな影響を与えたか。

 勝谷、和田は彼らを支持する熱狂的ファンを楽しませてくれる。中田はイスラムの世界をわかりやすく伝えた。吉田、宮園、井内は官僚として国家を支えて国民に奉仕した。飯泉は県民にサッカーをプレゼントした。西川、伊藤は法廷で社会のあり方を問い続けた。村上は企業買収、合併で会社のありように一石を投じた。

村上世彰氏 ©文藝春秋

 どこか関西のお笑いの雰囲気をかもし出す、灘神童79年卒業組。総代(卒業生代表)は成績トップの天才ではなく、生徒会長をつとめた存在感抜群の勝谷誠彦だった。天才と狂気の代と言われている。彼らが社会に役立ったかどうかは議論の分かれるところだが、世間を楽しませてくれる、もとい、社会を騒がせているのはたしかだ。

 神童はこうでなければおもしろくない。子どものころからさんざん期待されているのだから。

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