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東京大学 エリートはどこへ消えた?――徹底解剖 日本の大組織

2017/08/21

かつては政官財界のリーダーを輩出した「最高学府」だが……。エリート神話が崩壊した今、その学力、実力を検証する

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©文藝春秋

 かつて東京大学(以下多くの場合は「東大」と称する)は日本一のエリート養成機関とみなされてきた。しかし昨今、エリートの不在が問題視されるなか、東大はいまも、そして今後もエリートを生み出し続けるのだろうか。様々なデータ、および歴史的観点から探っていきたい。

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 東京大学の今日を理解するには、東京大学がどのような経緯で開校し、その後どのような発展を遂げたかを知っておくことが必要である。

 まず東大は時代における体制派の政治権力の下に創設されたことを知っておこう。江戸時代の中期に儒教の一派として朱子学が栄えたが、江戸幕府は支配階級(すなわち武士階級)の統治にとって有利な思想を持つ朱子学を重宝し、昌平坂学問所(昌平黌(しょうへいこう)が正式名)を創設して武士道や朱子学を教えた。

 江戸末期になると外国からの開国圧力もあり、江戸以外の有力藩では藩校において洋学を導入して外国語、兵器・軍艦製造法、天文学、地理学なども教えて、幕府にとっては倒幕の脅威になる人材を育てていた。そこで江戸幕府は幕府の体制内に蕃書調所(ばんしょしらべしょ)をつくって、洋学を学ぶ学校にすることによって有力藩に対抗しようとしたのである。後に開成所と称されるこの学校が東大の起源とみなされている。

 もう1つの有力な東大の前史として医学所がある。これも幕府内において江戸末期の日本人を悩ませた天然痘を防ぐための研究・治療機関として設立された学校である。種痘という医術を導入するためと、他の病気への対策という目的の学校が幕府内につくられたのである。

 こうして江戸幕府の体制内につくられた蕃書調所と医学所という洋学と洋医学を学ぶ学校が後に東大の母体となるので、東大は体制派の学校の伝統を有すると理解してよい。後の東大は明治時代以降の官僚、司法家、政治家、医者、教員、経営者などの養成機関として体制維持の学校として発展するのであるが、設立当初から体制派内のエリート養成校として始まったと認識しておこう。

官僚養成校として

 ここで挙げた2つの学校が出発点となって、1877(明治10)年に東京大学が誕生する。法学、文学、理学、医学を専攻する大学となったが、必ずしもトップのエリート校ではなかった。例えば後に東大のシンボルとなる官僚養成は、各省庁の持つ付属の学校(司法省は司法省法学校、工部省は工部大学校、など)で行われていた。ほかにも陸軍大学校などのエリートコースが存在した。

 ところが初代文部大臣だった森有礼(ありのり)によって1886(明治19)年に東大が帝国大学と衣替えすることとなった。「帝国大学令」という法令の下で日本のエリート校の頂点としての地位を確立したのである。

 法、医、工、文、理の分科大学からなるいわゆるユニバーシティ(総合大学)が日本でも定着したのであるが、ヨーロッパの大学と異なる点は工学を専攻の1つにしたことにある。ヨーロッパでは技術や工学は大学で学ぶ科目ではないという伝統が強かったが、日本は帝国大学において工学を重視した。つまり産業や工業の発展に寄与するエンジニアの養成が最高学府の重要な役割とみなされたのである。製造業、建設業、鉱業などの殖産興業(しょくさんこうぎょう)の担い手となる人の養成を帝国大学で行ったことが、その後の日本経済の発展に寄与したといっても過言ではない。

 1897(明治30)年に京都に第2番目の帝国大学がつくられたので、それまでの帝国大学は東京帝国大学と改称された。

 帝国大学、東京帝大を通じて、東大は官僚養成の中軸校となったことをここで強調しておこう。明治政府は、欧米に遅れをとった日本の社会・経済を発展させるために、法律をつくったり政策を立案したりする官僚の役割を特に重視した。そこで優秀な帝大卒業生を官僚にすべく種々の政策を導入した。例えば官吏登用試験制において帝大生が有利に合格できる策(帝大出身者は無試験で採用された)、(賃金や昇進などでの)官僚の優遇策などを導入して、優秀な官僚を持つ官僚制国家を日本でつくったのである。

 

 これらの策が見事に成功して、東京帝大の学生が官僚を目指す制度が日本で定着することとなった。「官僚養成校イコール東大」はこの頃から始まり、戦後を経て今日までその伝統が続くこととなったのである。その証拠として、いかに東京帝大卒が官吏登用試験(高文試験とも称された)で優位であったかを表1で示しておこう。東京帝大卒は1894(明治27)年から1947(昭和22)年まで、実に62%の比率という高さである。特に、大蔵省、内務省、外務省、商工省というエリート省庁で圧倒的に高い比率を誇った。