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東大出身の文豪たち

 さほど強調されないことであるが、かつて東大出身者が目立ったのは作家である。明治の文豪二人といえば、多くの人が夏目漱石と森鴎外を挙げるだろう。昭和であればノーベル文学賞の受賞者である川端康成と大江健三郎、さらに惜しくもノーベル賞を逃した作家には、三島由紀夫と安部公房がいる。これら6名は全員東大出身である。他にも芥川龍之介、志賀直哉、谷崎潤一郎など明治時代から昭和にかけて東大出の著名作家はそれこそ数多くいたので、東大は作家を生む第1の大学として君臨していた。

 しかし現代に至ると日本の文学界は東大の退潮が目立つ。作家の登竜門とされる芥川賞や直木賞は東大出が少なくなり、早稲田大学を筆頭にして、いろいろな大学で学んだ人が受賞者となっている。今ノーベル文学賞候補の最右翼にいる村上春樹も早大卒である。筆者は、東大出でもっとも退潮の目立つ分野は文学の世界と判断している。なぜ過去において東大が著名な作家を多く生み、現代になってそれが見られなくなったかについては、『東大 vs.京大』(祥伝社新書)で論じている。

 戦後しばらくの間、日本の学問を代表する大学は京都大学であった。戦後になって湯川秀樹と朝永振一郎というノーベル物理学賞受賞者を生み、その後も化学や医学・生理学でノーベル賞を輩出、京大は「ノーベル賞大学」の別名を授けられるほどであった。東大は学問で京大に劣るとまで言われて、東大関係者にとっては歯ぎしりの時代が続いていた。

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 現代に至ってどうであろうか。東大出身者、ないし東大教授でもノーベル賞受賞者が出てきたので、昔ほどのうしろめたさはないと言ってよい。ノーベル賞(自然科学のみ)では京大と東大は拮抗している。

 ついでながらノーベル賞に関して近年の傾向は、徳島大、長崎大、埼玉大、山梨大といった地方大学出身者が受賞し、出身大学の分散化が見られることである。しかし全員が国立大出身であり、不幸にしてまだ私立大出身者はいない。

 

 ノーベル賞予備軍とされる「ネイチャー」や「サイエンス」といったトップの学術誌への登場は、数の上では東大が京大を上回っているのが現状である。表6を参照されたい。もっとも東大の研究者数は京大のそれよりも多いので、1人あたりに換算すると、東大と京大はほぼ同水準とみなせなくもない。

残されたのは学問の道?

 とはいえ学問の世界における東大の復権には著しいものがある。なぜ東大が学問・研究で最強になったのか、様々な理由を指摘できる。大きな変化としては、これまでの東大は自校出身者を教員として採用していたが、他校出身の優秀な人を教員として積極的に採用するようになった。さらに、日本一の大学であるという名声は、外部からの研究資金を多額に受領できるようになっているし、文部科学省からの科学研究費補助金での資金獲得にも成功している。優れた研究を行うためには、研究施設の充実は当然として、研究補助をする人や研究の助けになる大学院生を採用するのにも資金は必要なのである。その意味で、大学の独立行政法人化は大学間の格差を広げ、研究機関としての東大に有利に働いたといえる。

 東大は今でも全国で最も入試が難しい大学であり、優秀な学生が入学していることは間違いない。しかし卒業生の進路に注目すると、官界、政界、司法界、実業界、文学界などでは過去の栄光は消滅しつつある。京大、一橋大、早稲田大、慶応大などが東大に肉薄しているし、分野によっては東大が後塵を拝している。大学は群雄割拠の時代である。

 またエリート校としての東大の最大の強みであり、拠りどころであった官僚の影響力が低下しているのも大きい。もともと日本でエリート教育とされるものは、東大に代表されるように、勉強、学問に偏ったものだった。本来のエリートの資質と思われる指導力、優れたコミュニケーション能力、探究心、決断力などはなかなか学校教育で育てられるものではない。

 しかし以前にも増して東大が強くなっているのが研究の世界である。誇張すれば、東大の生きる道は研究の世界かもしれない。