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「東大卒の首相」が消えた

 東大が官僚養成校として定着すると、東大生の多く、しかも優秀な学生ほど官僚を目指すため、官僚の幹部(次官や局長)はほとんどが東大卒で占められることとなる。そして官僚として比較的若い年齢で出世し、キャリア終了後は、民間企業や政府関係機関に天下ったり、政治家に転じる人が多くなった。その結果、戦後の一時期には首相の多くが東大出の官僚という国に日本はなってしまった。官僚としてのキャリアをバックに、東大は政界でも重きをなしていったのである。

 

 ここで東大出で、かつ官僚出身という首相を明治時代から現代まで見てみよう。表2は時代別にそれを示したものである。明治時代は大学出身者が首相になれる年齢に達していなかったし、大正・昭和初期、戦時期は軍国主義を反映して軍人が首相になることが多かった。戦後になって、官僚出身が幅を利かすようになり、戦後の昭和期は17名中の7名という多きに達した。名前を挙げると、幣原喜重郎(外務)、吉田茂(外務)、芦田均(外務)、岸信介(商工)、佐藤栄作(運輸)、福田赳夫(大蔵)、中曽根康弘(内務)である。なお他に東大出の弁護士が2名いる(片山哲、鳩山一郎)。官僚が多くなった原因としては、戦争責任者として多くの軍人、政治家、財界人がパージされて人材不足となったことと、戦後日本がますます官僚主導の国家になったことの反映である。官僚には東大出が多かったので、自然と東大出の首相が目立ったのである。

 それが一変するのは平成時代に入ってからである。宮沢喜一(大蔵)を唯一の例として、他に東大を出たのは学者出身の鳩山由紀夫だけ。なんと16名の首相のうち2名しか東大出はおらず、学歴に関しては完全に群雄割拠の時代となっている。

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 なぜ官僚が少なくなったのか、それは規制緩和の時代に入って、民業優先と官僚主導排除の思想が強くなったことと、政治家に2世政治家が多くなって官僚派よりも党人派が優勢となったことがあげられるだろう。

 

 現代の官僚はどうだろうか。表3は総合職(幹部になる人)の試験の合格者を出身大学別人数で示したものである。東大がまだ第1位を占めているが23%で、圧倒的な数の多さではない。むしろ私立大(特に早慶両大学)の進出が顕著である。かつては官庁は旧帝国大(特に東大)出身が幅を利かせていたので、早慶出身者の人気は低かったが、官僚の世界に私立大出身者が増加するという新しい動きが見られる。とはいえ、現代でも幹部(例えば次官)になる人は、戦後から2014年まで財務省(旧・大蔵省)で52名中48名が東大法、2名が東大経済の出身であるし、経産省(旧・通産省)で38名中35名が東大法、1名が東大経済の出身なので、官庁内の出世に関してだけはまだまだ「東大法卒」の存在感は大きい。次官になる人が入省した時代では、まだキャリア官僚の多くが東大法の出身者であったからこうなったのであるが、表3で見たように将来を見通せば東大出の幹部が少なくなることは明らかであろう。

 東大を出ないと官僚の世界では希望が持てないとなると、他の有力校卒業の人々は官僚以外の世界に入って活躍することとなる。やや誇張して言えば、学問の世界における京大、実業界における一橋大(旧・東京商大)と慶応大、マスコミ界における早稲田大ということになる。