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「精神科に行くと家名に傷が付く」評論家・古谷経衡が受けてきた毒親からの苛烈な虐待

『毒親と絶縁する』より #2

2020/11/01
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トイレにこもって難を逃れる日々

 最初は事実を話さず保健室で「頭痛」「腹痛」などといって休ませてもらっていた。最も難敵だったのは、体育館で行われる全校集会で、私は学校の大便室の中に鍵をかけて閉じこもり、クラスメートががやがやと教室に戻ってくる隙を見て何食わぬ顔で合流する、という姑息戦法を採った。

 しかしこれが通用したのも、ほんの1か月か2か月くらい。当時の担任から、

「なぜお前は全校集会の時にいつもトイレでうんこをしているんだ!?」

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 と呼び出された。正直に告白するしかなかった。いや、正確には、その場では「……すみません、以後無いように誓います、すみません」と謝って、その日の夜、担任の家に家から電話をして直接病気を告白した。

 この時、私は両親に電話の内容を聞かれるのを警戒して、電話線をピーンと伸ばして、厳冬の北海道の外気に晒されるベランダに出て、寒さでガタガタ震えながら担任に電話をした。北大進学のためなら実の息子への虐待をあらゆる理由をつけて正当化し、それが叶(かな)わないと見るや「カネを返せ」とか、自慰の処理をしたティッシュを集めて机に並べる、などというもはや対話すら叶わない、常軌を逸した言動を取る両親には、直感的に私の動物的本能が、「この病気は両親には絶対に理解されない」「両親を通じていくら学校に訴えても無意味」と警告していた。そしてその直感は当たり、その後、事態は図らずも予想通りに展開することになる。

両親を介さず担任に相談

 担任からは「とりあえず明日学校で詳細を聞く」と言われた。結果的に、私の全校集会欠席は、かろうじて認められた。学校保健医にもすべてを洗いざらい話して協力してもらった。名前は忘れたが、この時の学校保健医には、今でも感謝している。今考えれば、この保健医(女性2人)だけが、私の唯一の味方といってよかった。

©iStock.com

 兎に角一旦パニック障害を発症した私にとって、一番厄介だったのは、「教室くらいの広さの場所」でも発作が頻出する点だが、私はこれを自力で改善する抜け道を何とか見つけ出した。

 教室の最後尾の角の位置、つまり一番後ろの「衆目から監視されて“いない”場所」ならば、発作が起こらないことを発見したのである。だから席替えのたびに、私はなんやかやと理由をつけて最後尾の角の座席を確保するために狂奔した。時には、最後尾角の席を確保したクラスメートに金銭(3000円とか5000円)でその権利を譲ってもらう、というトリプルAの荒業もやった。

 むろん、この高校生には大金となる3000円とか5000円のカネは、先に述べた通り私のプリンターつきワードプロセッサによる錬金術から生み出されたものだ。地獄の沙汰も金次第とはまさにこのことをいうのかもしれない。