「親孝行はした方がいい」「親子は無条件に“良い”関係性である」……そのような模範は広く社会に共有されているといっても過言ではない。

 しかし、その一方で、我が子に精神的・肉体的な虐待を与える“毒親”と呼ばれる人たちも存在する。ネグレクト、過干渉、暴言……“毒親”による一方的な押し付けによって苦しんでいる子どもたちは、親に対して感謝の念を抱く必要はあるのだろうか。

 気鋭の若手評論家として活躍する古谷経衡氏による著書『毒親と絶縁する』(集英社新書)から、毒親による虐待の実情、そして心に受けた深い傷を紹介する。

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生き地獄

 話を私のパニック障害発症の1998年12月に戻すことにしよう。私の発作は、この体育館での出来事を切っ掛けに、以後頻繁に起こるようになった。それは、「広く逃げ場の無い場所」「衆目から監視されている場所」および「静寂が支配する緊張した空間」という三点のうち、どれか一つの条件があるとただちに発動した。

 それは急激に悪化し、翌1999年になると「広く逃げ場の無い場所」の定義が狭まり、「教室くらいの広さの場所」でも発作の対象となった。これは何を意味するのかというと、「学校で授業が受けられない」ということを示す。

 高校1年生の私は、キェルケゴールを中学生時代に読む程度の基礎教養を持っていたので、これが内臓疾患ではなく精神疾患であることは分かった。内臓疾患ならその発作は場所を選ばないはずだが、私の急激な死への恐怖は、特定の空間に身を置くことで起こる。この規則性から、この発作は精神疾患であると自ら確信した。ただ当時、パニック障害という言葉は知らなかった。図書館の本で独学すると、「不安神経症」とか「不安障害」であるに間違いないという判断に至った。

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 さて次の段階はどうするか。もう一刻の猶予も無い。学校での授業中には、ほぼ必ず発作が起こり、それと悟られないようにひたすら恐怖に耐えた。地獄の50分である。

 硬いはずのリノリウムの床の感覚が絹豆腐のように砕け散る。正方形の教室の床に足をつけて確かに椅子に座っているはずなのに、もう瞬間的に、本当にあっという間に全身の感覚が麻痺し、座っているという自覚も全部吹き飛んで、呼吸が荒くなり窒息しそうになる。心臓が蒸気機関のように唸(うな)り声をあげて爆発している。教師の声など一切耳に入らない。

耐え難い症状

 狭いはずの教室の中にいながら、まるで平行な床が無限に続く真っ平らで巨大な、天井の無い平面に放り出されたかのように平衡機能を喪失し、そのぐるぐる回る地面と呼吸困難に私は耐えて耐えて、耐えて、耐えなければならなかった。この発作の地獄は、現在でも時折夢に出てくる。いくら現金を積み上げられても二度と同じ恐怖の体験は御免である。これは、患者当人にしか分からない凄絶な発作なのである。

「広く逃げ場の無い場所」でいえば、私がこの病気を発症した最初の場所、すなわち体育館が最も禁忌となった。体育館に入った瞬間に発作が起こる。よって必然的に、体育館を使う体育授業は受けることができない。