“まるで毒のように子どもに悪影響を与える親”という意味を持つ「毒親」という言葉が近年流行している。しかし、学術用語としては認められておらず、その実態が明らかにされているとは言い難い。
ここでは、時事問題・政治・ネット右翼・アニメなど、幅広い分野で評論活動を行う古谷経衡氏が毒親によって味わわされた壮絶な過去を振り替えった書籍『毒親と絶縁する』(集英社新書)より、毒親の実情を引用し、紹介する。
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父の罵倒、母のネグレクト
1998年4月、私が(自分なりに)苦労して中堅進学高校に入ると、両親による教育虐待は一時的にだが軽減したことはすでに述べた。そしてそれは、慈悲や私に対して行った中学時代の虐待に対する反省から─、などでは全くなく、単に私に対して、同校の「上位5%」に入り、その結果として「北大に行く」という希望が現出したことへの手前勝手な期待からに他ならなかった。
しかし、時すでに遅く私は両親からの虐待の末に半ば逃げ込んだカルチャーという名の精神世界の素晴らしさに魅了されていて、高校時代に全く受験勉強というモノへの気力を無くしていた。その「上位5%に入って北大進学」という、両親による机上の空論は、高校1年生の初めての定期テストで一学年400人中386位という、ほとんどびりケツの結果を残した。さらに2回目の定期テストでも400中389位という惨憺(さんたん)たる結果で、また、特に数学と理科と英語の3教科は赤点(追試)という惨めな成績により、図らずも完全に瓦解することになった(ただし、社会と国語については最高評価であった)。
「お前にかけたカネを返せ!」
これによりまるで国連決議によるお墨つきでも貰(もら)ったかの如く、両親による教育虐待が、1998年の夏過ぎには早くも、当然のように無慈悲に再開された。そして高校時代における教育虐待は、中学時代のそれよりも徹頭徹尾強化された地獄であった。父親は前にも増して私を「ゴミ、クズ、低能」と罵り、決まって深夜になるとまたぞろ私を自室に呼んで、お得意の「お前にかけたカネを返せ!」と迫るのである。
しかもこれが、ランダムに、不意を突いたように行われるから、たまったものではない。要するにこのランダムに行われる「カネ返せ!」の大合唱は何のことはない、父にとっても単に虫の居所の悪い時に発生する、サンドバッグとして私を選んだ鬱憤晴らしの結果によるものだったからである。
そして母親は、中学時代とは違って、私に対して陰湿なネグレクトを始めた。つまり無視である。この無視とはどういうものであるかというと、「勉強をしないお前は救いようが無い」「匙(さじ)を投げた」などと言い放って、私との一切の会話を断絶する。
どの程度会話を断絶するかというと、本当に一言も私と会話せず、必要最低限度の伝達事項は、箇条書きを記した紙きれを私の部屋のドアの下の隙間から入れて伝える。驚くべきことにこれが、「コンドラチェフの周期」のように、1年のうち、2~3か月という周期で繰り返される。その間、母はA教団の集まりで私がいかに愚かな息子であるかということを嘆き、周辺の信徒から「まあまあ。そんなに怒ることないじゃないの」と諭されると、刹那的に改心したのか、翌日から人が変わったように「あなたに対してつらく当たってごめんなさい、あなたが生きているだけでお母さん幸せだわ!」と180度姿勢を転換する。