勉強しないから“24時間監視”する
理由は「お前が勉強しないから、こうして24時間監視してやるんだ」というもの。ドアの代わりには、布切れが一枚ぶら下げられており、「これがあればお前には十分だ。個室を与えてやっているだけでありがたいと思え」と言う。やがて夜に帰宅した父は、母のこのあまりにも行き過ぎた異常行為を叱責するどころか、「これは良い考えだぞ! これでお前も心を入れ替えて勉強するだろう!」などと母の蛮行に破顔でお墨つきを与えたのである。
結局この、私の部屋からドアを除去してリビングから監視する、という異常行為は約三か月にわたって続いた。ドアが元に戻されたのは、母が例のA教団の集会(地域会合)に行って、またぞろ周囲の信徒からの「息子さんにそこまでしなくてもいいんじゃないの?」などという仏教的寛大さ(?)に刹那改心して「本当にごめんなさい、あなたに酷いことをした」などと平謝りをして、つかの間の「間氷期」が出現したその時である。
だが、例によってこの間氷期は最大で2か月と続かず、私の存在を「ち○ち○掻いてばかりいないで勉強しろ!」と発声する以外は一切無視するという陰湿で常軌を逸したネグレクトが再燃するのだ。これが、世紀をまたいだ2001年の3月末まで、私が両親から受けた教育虐待の実相である。
我がカルチャー資金捻出法
ここまで読んで、私の両親の異常性に気分が悪くなってきた読者がいたら申し訳ない。だがこれらはすべて、「教育」や「お前の将来のため」という名目の下で、両親が私を精神的・肉体的に虐待した事実を、現在でも細部に至るまで克明に残る私の記憶を基に描写したものである。誇張は一切無い。
しかし、ここまでされて、両親に物理的な反撃、暴力などをよく行わなかったなあ、と思うだろう。実際には、私は父に対して2回、母に対しては30数回、やむにやまれぬ自存自衛のために、手と足を使った自衛のための最小限度の物理的反撃を行っている。それでも、やったのだ。それでも、父と母は私に虐待をし続けたのだ。
そして私は、私の精神の最後のよりどころとしていたカルチャーへの傾倒のために必要な資金を、両親を騙すことによって捻出していた。カルチャーへの傾倒のために必要な資金とは、主たるものが書籍の購入代金である。どうやって捻出したのかというと、両親の財布から札を盗むという古典的方法ではなく(まあ、それも何回かやったが)、学校から保護者に配布される教材費、特に美術教材費や副教材費の請求書の水増しや捏造(ねつぞう)である。