いまや日本中、主だった道路はほぼすべて舗装されている。砂利道なんて、クルマの入れないような路地くらいでしか見かけない。

 いずれにしても、日常的に歩く道はほとんどが舗装された道ばかりだ。だから、たまに砂利道を歩くハメになるとガッカリしてしまう。なんで砂利なんて敷き詰めてあるんだ、歩きにくくてしかたない……。が、砂利をバカにしてはいけない。

関東大震災が変えた首都圏の光景

 砂利はコンクリートの骨材などに使われる、つまり建材として不可欠な素材なのだ。コンクリート造りの家もビルも橋もトンネルも、大げさな言い方をするならばみんな元を辿れば砂利を使っているというわけだ。現代人の営みは、砂利によって支えられているのである。

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開業は関東大震災の2年後…消えた“帝都復興の輸送路”「西武安比奈線」跡には何がある?

 首都圏で砂利の需要が急増したのは、大正時代だという。関東大震災で大きな被害を受けた首都圏が、その復興のために砂利を求めた。首都圏近郊を流れる河川から川砂利を採取し、都心に運んだ。そのための鉄道路線も、いくつも建設されている。

開業は100年前…消えた“帝都復興の輸送路”「西武安比奈線」跡には何がある?

 たとえば、現在の東急田園都市線のルーツである玉川電気鉄道は、多摩川の砂利を運ぶのが目的で明治末に開業した。渋谷駅前は砂利置き場になっていたという。

 また、JR南武線や五日市線も多摩川の砂利輸送が建設のきっかけになったし、相模鉄道も相模川の砂利輸送を目的とする“砂利鉄”だった。こうした路線の多くはのちに砂利輸送をやめ、いまやすっかり首都圏の通勤通学路線として八面六臂の活躍を見せている。

 かつては砂利を運んで都市建設に資し、いまではその都市に暮らす人の日常を支える……などというと、なんともエモい気がしてくるのではなかろうか。が、すべての“砂利鉄”が通勤通学路線に変貌したわけではない。

 中には、砂利輸送の取りやめとともに役割を終え、廃線になってしまったものもある。そのひとつが、入間川の砂利輸送を担った西武安比奈線だ。

©鼠入昌史

 西武安比奈線は、新宿線南大塚駅(終点・本川越駅のひとつ手前)から分かれて入間川の河川敷まで延びていた砂利輸送路線だ。

今回の路線図。入間川の砂利輸送を担った西武安比奈線

 開業したのは大正末の1925年のこと。関東大震災が1923年だったから、帝都復興のための砂利輸送がこの路線の目的だったことは明白だ。