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内田也哉子「『もう少し樹木希林と距離をおいたら?』とたくさん言われた」 中野信子と考える“普通”の家族とは

内田也哉子×中野信子トークイベント#2

note

ストレスがまったくない親子関係なんてない

中野 みんな違うんですよね。完全に離れてデタッチされているのが0として、完全に一致しているというのを100とすると、0から100の間のどこをとっても別に間違いではない、というのが人間関係の面白いところなんですよね。他の生物だったら、30~35の間とか、50~55の間とか、かなり生得的に定まってしまっている狭い範囲があるんですよ。人間はそんなに、幅が狭くないので、あなたのお家はこうだけど私の家はこうよということでいい。別にどこが正解とは言えない。

 人間は人間関係の感じ方というものに、わざわざバリエーション持たしているんですよね。性格を決める遺伝子にはいくつか種類があって、人間関係の距離の心地よさの感じ方もそれぞれ違う。すごく濃い関係が心地よい人もいるし、独りでいないと死んじゃうというような人もいるわけです。その間のいいところで折り合いをつけて、「私たちは週に2回ぐらい一緒にご飯を食べようかね」というのがちょうどいい人もいるし、毎日家に帰ってきて、門限は何時です、みたいなのがいいという人もいる。いろいろなスタイルがあるのが正解というか、種としてはいろいろな正解がなければいけない。

内田 つまり、子にとって何が心地よいのか、そして母親にとってどの距離が心地よいのか。簡単に言ったら好みですよね。

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中野 そうですね、好みです。

内田 母親であってもそれは個別の人格、好み、子どもも個別の人格、好みというふうに、ある意味、孤独を早めに知っておけば楽ですね。中野さんご自身はお母様からわりと早いうちに独立されたんだけれども、ご自身の中では距離を上手にとっていたと思いますか。

中野 上手にとっているということは、感情的なわだかまりがないということでしょう。そういう感じになるまでに、だいぶ時間がかかりました。

 

内田 きっとどんな親子関係でも、ストレスがまったくないってことはないですよね。どんなに仲良くても、近くても遠くても、ストレスがないってことはない。私たちも親から影響を受けたりストレスを感じたりしたというお話をたくさんしましたね。この本の中にたくさん書かれています。

中野 そうなんですよ、よかったらお読みください(笑)。

何にでもユーモアを見つける才能があった母

内田 親を2人とも亡くしてみて思うのは、どんなに、どんなにイヤだなと思っていても、必ずいなくなる。いなくなって私は、あの親をめぐる葛藤とか苦しみは何だったんだろうという、脱力感というか虚無感に襲われました。今、このように母親とどう距離をとったらいいのだろうかと悩まれている方に、もし私が言えるとしたら、母もよく言っていましたけど、人間はいつかではなく、いつでも死ねる。つまり、いつ死ぬかしれない。今はコロナもあるし、いつどうなるか分からないのが人間だということを、ときどきリマインドしていると、今ここで無理に距離を縮めることにエネルギーを注がなくても、あるいは無理に離れることにエネルギーを注がなくても、今目の前にあることを、その難も含めてどう……。

中野 価値を最大化するか。

内田 そうそう!

中野 その価値を最大化するほうに目を向けたほうが、何でこんなことで私は苦しめられているんだと考えるよりも、使うエネルギーが少しで済むんですよ。

内田 そうね。私は何でも真に受けて、ちょっと真剣に考え過ぎちゃうところがあるのですが、母は、何にでもユーモアを見つける才能があったと思うんです。それから、中野さんのように俯瞰で見ることができれば、いろいろなものが見える。一個のことをもっと広く見た時の多様さ。そこには学んでないと行き着けないのでしょうね。想像力が柔軟でなければできないだろうし。いかに一個のことを一方向からしか見ていてはいけないかを学ぶ必要もある。