内田也哉子さんと中野信子さんの共著『なんで家族を続けるの?』(文春新書)の刊行を記念して、4月11日に行われたオンライントークイベント。ZoomウェビナーとYouTubeライブ中継(現在、YouTubeにてアーカイブ動画を公開中)を合わせて1800名超の視聴者を集めたトークの全貌を公開します。(全6回中の5回目。#1、#2、#3、#4、#6を読む)
(文:小峰敦子、撮影:山元茂樹/文藝春秋)
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私にとって唯一救いだったのは…
中野 也哉子さんへの質問も来ていますよ。
Q.【50代女性より】内田さんに質問です。内田裕也さんは、也哉子さんを可愛がっていらっしゃいましたか? 怒鳴ったり叩いたりなどせず、愛情を注がれたのでしょうか? 心の中でもいいのですが、お母様に対する仕打ちなどを含めて、許していらっしゃるのでしょうか?
内田 なるほど。鋭いご質問をいただきました。『なんで家族を続けるの?』のなかでもたびたび触れているように、両親は離婚していないものの、うちは母子家庭だったので、父と過ごした時間は累計して数十時間だったと思うんですね。叩いたり、怒鳴ったりしている姿はさんざん見ましたけど、離れている時間のほうが長かったためか、父から叩かれたことはありません。ただ、会えた時間、ほとんどキレていない瞬間はなかったぐらいなので、怒鳴ったりは確かにありました。お陰で、私の脳はずっと萎縮していました。ただ、私が生まれる前は、両親は取っ組み合いのけんかをして、刃物が欠けたり、大変な流血があったりしたそうですが、私にとって唯一救いだったのが、父が母に手を上げる姿は見たことがないんです。私に危害を加えたこともない。もしかしたら、父の裕也は荒れ狂って怒っているときは何も分からなくなっている、モノも壊すし怒鳴り散らすけども、どこか一線は超えないようにしていたのではないかと思うんですよね。ギリギリセーフだったのではないかな、脳は萎縮したけど。
母に対する仕打ちについては、許すも許さないも、あの夫婦が結局この家族をスタートしたわけで、母は私がお腹にいたときに、「これ以上一緒にいると、どちらかが死んでしまうから、もう出ていってください」と父に別の住まいの鍵を渡して、出ていってもらったんです。
それでもずっと別れなかった夫婦、という事実がある。結局、父が稼ぎを入れなくても、借金を母が肩代わりしても、いろんなガールフレンドがいても、警察にお世話になるようなことがあっても、でもやっぱり母がずっと見放さなかった。それは父にひとかけらの純なものがあるから、自分にとって裕也が必要だからと、一応チラチラと私には話してくれていました。