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母が裕也をハナから許していたから

 いろいろあって離婚裁判までした夫婦なんだけれども、父が晩年、「まあこうしてみると別れなくてよかったんじゃねえか」と母に言うのを見ることができたから、何十年もかかってようやく少しだけ、心のわだかまりみたいな、しこりみたいなものが溶けていったんですね。

 だから、もう何でこんなことをしてくれたんだということを起こすお父さんではあるけれども、この家族をスタートしたのは母と父であって、その母が裕也をハナから許していた。私には計り知れない2人だけの何かがあったわけで。親子といえども私はそこに何か文句を言う筋合いでもないのかなと。

 ただ欲を言えば、せっかく親子としてこの世に生まれてきた、出会えたんだから、もう少し父のいいところもちゃんと目で見て感じたかったなと思います。今、亡くした後に、いろいろな人から父の話を聞く機会があって、ああやって怒って酔っ払って怒鳴っているだけが裕也ではなかったんだ、ということを感じつつあるから。

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 私自身も自分の人生を終えてみないと、この親子、この家族でよかったのか、納得ができないんだろうな。納得させていきたい、よかったことにしていきたいんだけども。でも、いろいろな心のトラウマもあるから、なかなか一筋縄ではいかないですかね。中野さんはそういう意味では、親を許すとか許さないとか、どう思いますか。

 

中野 そうですね。もう、しかたなかったと言うしかない。両親も必死だっただろうしなと、一定の理解をするという感じですよね。感情というのは蒸発してしまうし、もちろん蘇ってくることもあるけれども、蘇らせてもそんなに価値があるのかどうか。価値があるとしたら、私が物語を書くことがあれば、その体験を使えるかもしれない。でも、もうあまり蒸し返してもな、というのはあるんですよね。

内田 対談のなかで中野さんが披露したメソッドで笑っちゃった、そして目から鱗だったものがあって。

中野 え、何?