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私の人生を変えた人の名は……

 最後に一つ、私の小学校の担任の先生をめぐる不思議なご縁を。赤木雅子さんと石碑を見た、あの大宮小学校で1974年度、6年2組の担任だった先生。国語の担当で、子どもたちが至らんことをすると長文の反省文を書かせた。僕らはそれを「2000字」と呼んで恐れた。私も何度も書かされた。

 その先生がある日、私に声をかけた。

「相澤くん、君はラ・サールという学校を知ってるかい?」

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 まったく知らなかったが「試しに受けてみないか?」と勧められて模擬試験を受け、入試も受け、中学から親元を離れて寮に入ることになった。これが私の人生を大きく変えたのだが、その先生の名前を久しぶりに聞いた。宮崎一の歓楽街、西橘通りにある「続人間」という老舗バーで。ここのマスターが常連客の一人として名前をあげた。

「赤木先生もずいぶんお歳になって、最近あまりお姿を見ないですね」

 そう、担任は赤木先生だった。「赤木衛」のペンネームで詩人としても活躍していた。あのころ繰り返し書かされた「2000字」が今の原稿執筆にいきている、のかもしれない。どうやら私の人生は、赤木という姓の方に大きく動かされる運命にあるらしい。

 

 赤木雅子さんの全国行脚はこれまでに10か所を回った。各地で様々なエピソードを重ね、これからも続く。実は全国行脚には先達さん(修行の先輩)がいるのだ。そんなことも含め、連載で道中を書き記していこうと思う。

写真=相澤冬樹