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なぜ東京オリンピックは異論を封じる“暴力的手法”となってしまったのか「これで日本も終わりだなと思いました」

『亡国のオリンピック』より#1

2021/10/06

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 読書, スポーツ, 社会, 医療, 国際, 政治, 経済, 歴史

note

オリンピックや国体がないと…

──なぜ新型コロナが感染拡大しているのに開催するのか、という国民の疑問も、最後はそれで押し切った。

坂上 スポーツ界が利益配分に血眼になる背景には、もうひとつ日本のスポーツ政策の貧困さという問題があると思います。オリンピックのような機会でないと、本当に欲しいスタジアムなどができない。その地方版が国民体育大会です。国体を名目にしてそういうチャンスをつかまえないと、スタジアムなどがなかなか整備できない。

 オリンピックや国体といった付加価値がないと、なかなかスポーツ施設の整備や選手の強化などが進まないのが、この国の実情です。だからひとつの機会に群がるわけです。そこで、オリンピックやワールドカップといった大きなイベントを招致するという戦略になってしまう。

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──森喜朗組織委前会長の女性蔑視発言は、本人が建設を主導したスポーツ組織の拠点ビルで開かれた会議の席で出ましたね。スポーツ界が文教族の森前会長にすがるから、彼に権限が集中し、周囲も誰も問題発言を咎めない状況が生まれた。

坂上 政治家を担ぎ出さないと何も進まないのが日本のスポーツ界です。地方も同じです。与党の政治家が競技団体の会長などを務めていたり、地方の体育協会が票田組織になっていたりする例もありますね。

報道の実情に関する検証も必要

──さらに、今回は大手新聞社が大会スポンサーになりました。

坂上 これで日本も終わりだなと思いました。東京オリンピックへの批判がタブーとなってしまうと思ったからです。これはただの被害妄想かもしれませんが、大手新聞社から私のところに今回の東京オリンピックについての取材が来るようになったのは、延期が決まった2020年3月24日の直前からです。それまではまったくありませんでした。

 ある大手新聞社の取材を受けた時、記者から、「当時はスポンサーにならないと報道に規制がかかる恐れがあると社内で言われていた」という話を聞きました。新聞社にとって、オリンピック関係の記事に制約がかかるというのは死活問題ですからね。そういうことであれば理解できなくはありません。しかし、スポンサーになって報道の自由を手に入れたはずなのに、実際には何らかの規制があったのか、それとも忖度による自主規制なのかわかりませんが、東京オリンピックのイメージを悪くするような事実や批判的な報道がほとんどなされなくなったように思います。

 こうした報道の実情に関する検証も、今後、きちんとやらなくてはならないですね。これまでの研究で指摘されているのは、選手村用地の売却契約で、東京都が事業者を優遇していたことを、「赤旗」以外どこのメディアも問題にしなかったことです。まだこの一件の事例しか検討されていません。