東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が新型コロナ感染を爆発させることは、開催前から危惧されていた。案の定、開催期間中、感染者数は過去最大を更新し続け、国民の「安全と安心」は切り捨てられた。

 なぜオリンピックは強行開催されたのか。ジャーナリスト・後藤逸郎氏による『亡国の東京オリンピック』(文藝春秋)より一部抜粋して、愚挙の真相を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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坂上康博 一橋大学大学院教授インタビュー

異論を封じる“暴力的手法”となったオリンピック

──日本はどうしてこれほどまでにオリンピックをやりたいのでしょうか。先生のご指摘によると、戦後、ほとんどの時期でどこかの都市が誘致運動をしているそうですね。

坂上 1952年以降で計算して、58年4カ月、実に84%にあたる期間をオリンピックの誘致運動あるいは開催に向けての準備に費やしています(笑)。1番、間が空いたのが1972年の札幌オリンピックの後ですが、5年半です。常に日本のどこかの都市がオリンピックに関わっているという状態がずっと続いているんです。日本はオリンピック中毒あるいは依存症になっている。今も札幌が手をあげていますね。そうなったのも、64年の東京オリンピックの成功、これが決定的に大きかったと思います。

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 今回の東京オリンピックも、基底には前回大会の成功体験がある。JOCと日本体育協会(当時)が出した『日本体育協会・日本オリンピック委員会100年史』には、「次世代を担う子どもたちにも同じ経験をさせて活力と感動を与えたいという想い」から、オリンピック招致を決定したと書いてあります。招致運動は、そこから始まっている。菅義偉首相は、野党4党首との討論のなかで、突然64年の東京オリンピックの思い出を語り始め、「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボールの女子日本代表の活躍などを取りあげて「あの瞬間を忘れられなかった」などと延々と話しましたね。野党側の質問をはぐらかすひどい答弁でしたが、菅首相にとってみれば、それこそがオリンピックの開催意義の説明だったのでしょう。

 このように64年の東京オリンピックの体験、それへの強烈なノスタルジーが、今回の東京オリンピックの招致と開催を推進してきた人々の基底にあり、彼らを突き動かしてきました。そして、なぜコロナ禍でも開催するのかと問われても、ノスタルジーに寄りかかった現実逃避の説明で共感を得ようとする。