文春オンライン

なぜ東京オリンピックは異論を封じる“暴力的手法”となってしまったのか「これで日本も終わりだなと思いました」

『亡国のオリンピック』より#1

2021/10/06

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 読書, スポーツ, 社会, 医療, 国際, 政治, 経済, 歴史

note

なぜIOCがこうした超法規的な権限を持つようになったのか

 これまでそれが認められてきたのは、一言で言うとオリンピックの威厳とそれに対する信頼があったからです。オリンピックは国際的な平和運動であり、国連もIOCの要請を受けて1993年からすべての加盟国に対してオリンピック期間中の休戦を求める決議をしてきました。古代オリンピックの伝統を現代に蘇らせ、大会の開催期間だけでも全ての紛争を止めましょうというのは、オリンピックらしい伝統です。

 オリンピック憲章には、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指す」というのが根本原則として掲げられている。それは誰も文句を言えない崇高な目的です。そういう平和運動の一環だからこそ、その運営が治外法権的な、主権を侵すようなものを含んでいても、各国は認めてきたわけです。

 また、IOCがこうした超法規的な権限を持つようになったのには、オリンピックがさんざん政治に翻弄されてきたという歴史も関係しています。政治的な介入をはねのけるためにはこうした権限を保持する必要があるということです。

ADVERTISEMENT

 1980年のモスクワ・オリンピックのボイコット、84年のロサンゼルス・オリンピックのボイコットで、IOCが政治に対していかに無力かというのがはっきりした。それで、いかに政治に従属しないか、一線を守るかという課題に取り組んできた。超法規的な権限はその到達点でもあるのです。

──IOCがついに政治を押しのけた、とも言える。

坂上 オリンピック憲章には、招致に名乗りをあげた国の政府が「オリンピック憲章を遵守することを誓う」という証書をIOCに提出しなければならない、と定められています。政府がオリンピック憲章に従うということまで誓約させているんですね。これには私も驚きました。IOCは政治に従属させられないために頑張ってきたんだと思います。しかし、それはオリンピックが真っ当な目標に向かって進んでいる運動であるということと、それに対する人々の信頼があって初めて成り立つ。今回は、そこがズタズタになったと思います。

【後編を読む】  ウイルスセンター長が警報を鳴らす「空気感染を認めないと、本当は防げるものも防げなくなります」

亡国の東京オリンピック

後藤 逸郎

文藝春秋

2021年9月13日 発売

なぜ東京オリンピックは異論を封じる“暴力的手法”となってしまったのか「これで日本も終わりだなと思いました」

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

ノンフィクション出版をフォロー