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なぜ東京オリンピックは異論を封じる“暴力的手法”となってしまったのか「これで日本も終わりだなと思いました」

『亡国のオリンピック』より#1

2021/10/06

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 読書, スポーツ, 社会, 医療, 国際, 政治, 経済, 歴史

note

オリンピックに莫大な税金を投入するだけの効果は期待できない

──またオリンピックは、どんな手を打ってもデフレは止まらず日本経済がどんどんダメになっていく中で、それを変えるひとつの契機としても期待されていったのではないでしょうか。

坂上 戦後58年4カ月もオリンピックに費やしてきたという中毒あるいは依存症というべき日本の状況は、オリンピックがもたらす経済の浮揚効果に対する期待、もはやそれは信仰に近いものですが、それによるところが大きいと思います。東京オリンピックが開かれた60年代は、まさに高度経済成長が始まった「右肩上がりの時代」で日本の黄金の時代、一番輝いた時代として、国民の間でも強いノスタルジーがあります。

 菅首相をはじめ、その時代を体験している政治家たちにとってもそうであって、だから、それをもう一度ということでしょう。コロナ禍が始まる直前まで、当時の安倍首相もオリンピックによる経済の再浮揚を叫んでいましたね。しかし、オリンピックの経済効果というのはかなり限定的なもので、莫大な税金を投入するだけの効果を期待できないというのが多くの経済学者の見解ですね。それはあくまである世代のノスタルジーであって、根本的な経済対策からは程遠い、場当たり的なものだと思います。

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──1970年万博と2025年大阪万博も同じですね。

坂上 そうだと思います。打つ手がない状況の中、一時的な刺激にすがりたいという、かなりノスタルジックな発想が基底にあるのではないでしょうか。本当にこれで日本経済、大阪の地域経済をプラスに転換させられるというような合理的な根拠に基づくものではないと思います。

スポーツ界への利権分配という点では強力な装置になっている

──新国立競技場を造る時は、レガシーと言っていましたが、実際にはサブトラックを常設しないので、今回限りで陸上競技場としては使われなくなる。

坂上 その問題については今まで深く考えたことがありませんでした。見過ごしてはいけない重要な問題ですね。

 他方、スポーツ界への利権分配という点では、オリンピックは強力な装置になっています。新国立競技場の建設を筆頭に普段ならできないことでも、オリンピックは例外扱いという状況を作ってくれるので突破しやすくなる。また、招致が決定したとたんに一気に開催までのスケジュールが決定し、何が何でもそれに間に合わせなければならなくなる。これが恐ろしい力を生み出す。期限が迫っているという理由で反対意見を押し切ることができるからです。そんなこと言っていたら間に合わないじゃないか、と。これで全部押し切れる。これは非常に暴力的な手法ですね。