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「僕の詞じゃないと生かせない」“声と勘が良くて気が強いだけ”だった松田聖子が80年代を代表するアイドルになれたワケ

「僕の詞じゃないと生かせない」“声と勘が良くて気が強いだけ”だった松田聖子が80年代を代表するアイドルになれたワケ

『風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年』より #1

2021/11/28
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その後の聖子ソングを予兆した、女の子の気持ちの二面性

 それだけではない。この曲で松本隆に出会った人の多くが「何だろうと思った」と口にする小型ヨット“ディンギー”は、3月に出た大瀧詠一の「A LONG VACATION」の「君は天然色」にも登場している。「真珠の首飾り」は、第二次世界大戦で亡くなったスイング・ジャズのスター、グレン・ミラーが率いる楽団の代表曲だ。“答えは風の中”という一節はボブ・ディランの「風に吹かれて」と重なりあう。グレン・ミラーとボブ・ディランと大瀧詠一。さりげなく挿入されているかに見える彼の思い入れ。でも、この後どうなっていくかの答えはまだ見えない。“あなたを知りたい”は、彼自身の松田聖子に対しての気持ちだったのかもしれない。

 何よりもこの後の松田聖子の歌の予兆といえるのが、“あやふやな人ね”と“さらってもいいのよ”ではないだろうか。アイドルの歌の中で、恋の相手の男性を“あやふやな人ね”と距離感を持ちつつ冷静に見ている例は多くない。それでいて“さらってもいいのよ”と挑発的な面も見せる。“あなたが好き”という純情一辺倒ではない“女の子の気持ち”の二面性。それは曲を重ね、アルバムの数が増すごとに色合いを強めてゆくことになる。

 ディレクターの若松宗雄が意図した“音楽性と文学性”。それは「白いパラソル」の曲調にも見て取れる。

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白いパラソル

喉に負担がかからぬように、ミディアム・アップなバラードへ

 財津和夫が初めて曲を書いた4枚目のシングル「チェリーブラッサム」からは、「青い珊瑚礁」のような、どこまでも突き抜けていきそうな伸びやかな明るさとは違う曲調になっている。「白いパラソル」もそうだ。タン・タ・タンと軽く跳ねたリズムと言葉。派手な盛り上がりを抑えたようなメロディー。はち切れそうに躍動的で若々しい明るさ、というアイドル的な曲とは違う艶っぽい憂いもある。

 若松宗雄は「事務所の人が、こんな地味な曲は売れないって本人に言ったんです。地味かもしれないけど素敵な歌じゃないかって彼女には言いましたけど。あれ、大ヒットですからね」と言った。

 そうした曲調の変化について松本隆は、前述の番組でこんな話をした。

「一番大きかったのは、僕が担当した時、喉の調子が悪かったの。『青い珊瑚礁』のような高音が辛くなってた。喉に負担がかかりすぎるんですね。どうしても中音で勝負するしかなくなっていた。だったら少しテンポを緩くしてミディアム・アップみたいなバラードが歌えたらいいな、と思ってその後の曲を作っていくんです。『白いパラソル』『風立ちぬ』『赤いスイートピー』。これもホップ・ステップ・ジャンプだった。ジャンプでユーミンだったということですね」

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