「文藝春秋」5月号の特選記事を公開します。(初公開:2021年4月24日)
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「はっぴいえんど」がデビューしたのは、1970年、21歳のときでした。気がつけば、僕も70歳を超え、作詞活動も50年を迎えることになりました。振り返れば長い時間ですが、実感としてはすべてが昨日のことのよう。あっという間にここまで来たという感覚です。
日本語でロックを歌う
デビュー当時、音楽は文化の中心でした。全共闘の若者たちが最後は暴力で自滅しているのを横目で見ながら、「このやり方だとなにも変わらない。体制に利用されるだけ」と思っていました。それでもなにかを変えたいという意志はあった。そして僕が自分でできることとして選んだのが音楽。「はっぴいえんど」は、日本語でロックを歌うという明確な“意志と理由”のあるバンドでした。
いまでは当たり前のように思う人も多いと思いますが、当時はプロの音楽家のなかにもロックには英語しかあわないと考える人も多かった。内田裕也さんなんかがその代表で、デビュー直後くらいに座談会に呼び出されて、けちょんけちょんに批判された。向こうは30過ぎで、すでに実績もある音楽業界のボス。こっちは20歳くらいの若僧ですよ。お前らが音楽雑誌で1位になったのが気に入らないとか言って。「日本語ロック論争」なんて言われていたけど、論争でもなんでもないただの吊し上げ(笑)。ずいぶんと大人げないことをしていたんです。
でも、いまは日本語でロックを歌うのが当たり前になっている。僕らは、「日本の音楽を変える」と予告して、そのとおりのホームランを打った。アンチの人がなにを言おうと、「君たち、僕らの風呂敷の上に乗っているよ」と言いたい。僕ら「はっぴいえんど」は、間違いなく日本の音楽を変えることに成功したんです。
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2100曲以上の作詞を手掛け、シングル通算約5000万枚の売上を誇る作詞家・松本隆。太田裕美、松田聖子、薬師丸ひろ子、近藤真彦、寺尾聰、KinKi Kids……ヒットチャート1位に輝いた曲は50曲以上。日本の音楽シーンに数々の金字塔を打ち立ててきたその原点は、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂、そして松本の4人によって結成された伝説のバンド「はっぴいえんど」だ。いまもなお愛される数々の名曲を残すこのバンドは、70年から72年という短い期間で活動を終えるが、散り散りになった4人の才能はのちの日本の音楽シーンに多大な影響を与えた。
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“なりゆき”で作詞家を目指す
解散は、細野さんと大瀧さんが2人で決めちゃった。僕と(鈴木)茂は、その結論を伝えられただけ。2人は音楽家としてライバルで、ぶつかり合うことが多かった。「もうそろそろかな」とは思っていたけど、突然かつ予想外のタイミングで解散と言われた。ところが同時期に妻の妊娠がわかった。そうなると、やっぱり男としては責任をとらなきゃならない。ところが事務所からの給料は半年も遅配でなかなか入ってこない状態。妻から「もう無理」と言われて、生活のために“なりゆき”で作詞家を目指すことになったんです。