きょう5月2日は、作詞家でプロデューサーの秋元康の62歳の誕生日である。言うまでもなく、40年近く第一線で活躍を続けるヒットメーカーだが、40代の筆者には彼に対してどうも肯定と否定とがないまぜとなったアンビバレントな思いがある。そういう同世代は案外多いのではないか。
「雨の西麻布」(85年)「川の流れのように」(89年)……秋元康はどこまで本気か?
私がそんな思いを抱くのはまず、秋元の仕事には、どこまで本気でやっているのか計りかねることが多々あるからだ。何しろ、とんねるずの「雨の西麻布」(1985年)で演歌・歌謡曲のパロディをやったかと思えば、その数年後には、同じく作曲家の見岳章とのコンビで歌謡界の女王・美空ひばりの「川の流れのように」(1989年)を手がけているのだ。とんねるずにはその後、「情けねえ」(1991年)や「一番偉い人へ」(1992年)といったメッセージ色の濃い曲も提供しているが、これまた本気なのかパロディなのか受けとめかねてしまう。
「情けねえ」にはずばり《この世のすべてはパロディなのか?》という歌詞が出てくるが、これは秋元が自分自身に向けた問いかけにも読める。作詞も、テレビをはじめ各種の企画・プロデュースも、当人からすれば、自分のなかから湧き上がってきたものというよりは、すべて借り物だという意識もあるのかもしれない。実際、10年ほど前のインタビューで秋元は、自分の書く詞について《一貫性はないと思う。だって詩人じゃないから》ときっぱり口にしている(※1)。そのうえで、次のように語っていた。