きょう3月13日、吉永小百合が80歳の誕生日を迎えた。日本映画の世界で、常に新たな挑戦を続けてきた吉永にとっての“転機”、そして“引退”への思いとは……。80年の軌跡を振り返る。(全3回の3回目/最初から読む)
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30代後半から開いた新たな境地
2019年、吉永小百合はNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で密着取材を受けた。その取材中、番組ディレクターの築山卓観は吉永から唐突に年齢を訊かれ、33歳になると答えると、彼女は《うーん。33歳、そのころは不本意な映画にも出てました。その後、34歳くらいから一生懸命仕事をするようになりましたね》と自らの人生を顧みたという(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班・築山卓観『吉永小百合 私の生き方』講談社、2020年)。
その34歳のときに吉永が出演した映画こそ『動乱』(1980年)である。同作では高倉健が2・26事件を首謀する陸軍の青年将校を演じ、彼女はその妻の役であった。撮影は1年という映画では異例の長さで、その間、真摯に作品に取り組む高倉の姿勢に吉永は心を打たれ、もういちど映画の世界でしっかりやってみようと決意したという。高倉や『男はつらいよ』で共演した渥美清からの影響で、マネージャーをつけず、一人で仕事をやってみようと決めたのもこのころだった。
30代後半に出演した『細雪』(1983年)や『天国の駅』(1984年)ではそれまでに経験のない役に挑戦し、新たな境地を開く。後者では実在の元死刑囚をモデルにした女を、愛欲シーンも含めて演じきり、往年のサユリストたちに衝撃を与えた。
谷崎潤一郎の長編小説の映画化である前者では四人姉妹の三女・雪子の役で、伊丹十三演じる義理の兄を蔑むように笑ってみせる場面があった。それは彼女が初めて映画で見せたゆがんだ笑いで、自分でもどうしてこんな意地悪な表情ができたのかドキッとするほどであったという(吉永小百合『夢一途』主婦と生活社、1988年)。
俳優を続けるかどうか悩んだ時期
『細雪』の市川崑監督の作品にはこのあとも『おはん』(1984年)、『映画女優』(1987年)、『つる-鶴-』(1988年)と出演が続く。このうち『映画女優』では俳優の大先輩である田中絹代の半生を演じた。当時42歳になる直前で、ひそかに俳優を続けていくべきかどうか悩んでいたという。
映画をメインに活動する女優にとって42歳は大きな曲がり角であったらしい。舞台女優なら年齢はさほど関係なく、一つの作品で10代から老年期まで演じても違和感はないが、映画の場合なかなかそうはいかないからだ。事実、昭和を代表する映画女優・原節子はこの歳をもって映画界からフェードアウトし、亡くなるまで表舞台には一切出てこなかった。田中絹代もこの年齢でかなり悩んだ末、俳優を続ける道を選び、晩年まで映画に出演する。