セリフが言えず、撮影がストップ

 このとき、夢千代の「ピカ(原爆)が怖い」というセリフを、浦山監督は「ピカが憎い」と言ってほしいと指示してきた。しかし吉永は「ピカが憎い」と言ったら夢千代の人格が変わってしまうと譲らない。このため撮影は一旦ストップした。現場は大混乱になったが、樹木は監督相手に最後まで譲らなかった吉永を見て、彼女のことを認めたと、先の対談で明かしている。

 吉永にもこの出来事は強く記憶に残っていた。監督との話し合いが何とか決着し、撮影が再開されることになったとき、樹木が「あんたえらいよ。よく言ったわ」と褒めてくれ、《それから希林さんとは本当の友達になれたような気がします》と語る(『文藝春秋』2024年7月号)。

2016年、菊池寛賞受賞式での吉永小百合 ©文藝春秋

樹木の死を受けて見直した「どこでピリオドを打つか」

 樹木はもともと舞台出身で、70年代にテレビドラマで売れてからはそちらに主軸を置いたが、後半生は映画にのめり込んでいった。それが吉永にはうれしかったようだ。いつか彼女とのコンビで、老姉妹を主人公とした『八月の鯨』のような映画で共演したいと夢見て、先の対談で約束もしていた。結果的にその夢はかなわないまま樹木は亡くなる。このとき吉永は『北の桜守』で映画出演が120作目に達したばかりだった。

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©文藝春秋

 じつは吉永は、以前は俳優として「どこでピリオドを打つか」という思いがあり、120本を区切りに考えていた。だが、樹木の死を受けて、いつも彼女の作品を観ては刺激をもらっていただけに、《じゃあ、もうちょっと私はやるべきなんだと》思い、仕事の継続を決めたという(前掲『吉永小百合 私の生き方』)。

続く吉永の新たな挑戦

 吉永は一昨年(2023年)公開の『こんにちは、母さん』で、さらなる挑戦として初めて大きな孫のいるおばあさん役を演じた。それに続く124作目となる新作『てっぺんの向こうにあなたがいる』では、女性として世界初のエベレスト登頂に成功した登山家・田部井淳子を演じ、今年秋に公開予定である。

映画『こんにちは、母さん』の完成披露試写会。左は共演の大泉洋、右は永野芽郁 ©文藝春秋

 撮影では実際に富士山などに登ったという。日頃から鍛えてきたとはいえ、80歳を前にこれだけ体力を要する作品に出演するとは驚かされる。同時に、ここへ来て登山家を演じることに、自らの人生を示唆しているように思えてならない。これまでにもいくつもの山をきわめてきたはずの吉永はいま、新たな頂の向こうに何を見ているのだろうか。

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