丸刈り姿で挑んだドラマ「西遊記」の三蔵法師、「なめたらいかんぜよ!」と啖呵を切った映画「鬼龍院花子の生涯」だけじゃない…。1985年、27歳の若さで逝った女優・夏目雅子さん。短い芸能人生で、多大な影響を残した彼女の人生を、朝日新聞編集委員で、昨年10月に亡くなった小泉信一氏の最後の書『スターの臨終』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

早逝の女優・夏目雅子が残したものとは―― ©文藝春秋

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夏が似合う昭和の名女優

 演技が良かった。美しかった。活躍した時期が自分の青春と重なる――。人によって理由は様々だろう。朝日新聞の朝刊beが「あなたが選ぶ昭和の名女優」と題し読者アンケートをしたことがある(2011年2月12日掲載)。

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 夏目雅子は、吉永小百合に続く2位。ちなみに、3位は大原麗子、4位は八千草薫、5位は池内淳子(1933-2010)だった。

 急性骨髄性白血病に侵され、1985年9月11日、肺炎のため27歳で早逝。清純でキラキラ輝く美しいイメージのまま、突然、私たちの前から旅立った夏目は、人々の心の中で永遠の存在になった。若くして難病で亡くなった悲劇が、「永遠の聖女」として語り継がれる要因になった。死後、何度も夏目雅子ブームが起きたのは、亡くなったことで神格化され、汚すことができない存在となったこともあるだろう。

 それにしても、白血病とは……。しかも、女優として脂が乗り、これからの活躍が期待されていたときである。

 白血病とは骨髄など造血組織にできる悪性腫瘍だ。白血球が異常に増え、血液を通して病気が全身に広がるため治療が難しいとされる。夏目は東京・新宿区内の病院で亡くなったが、病院には新宿の夜景が見えるフロアがある。筆者もその病院に入院したことがあり、夜景を見るのが楽しみだった。夏目も黄金のようにキラキラ輝くネオンの海を眺めたに違いない。

 夏目は1957年12月生まれ。実家は東京・六本木で輸入雑貨店を営んでいた。東京女学館小学校から同中学校、同高校へ進学。

 10代のとき、ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1901-1974)の映画「ひまわり」(1970年)を見て主演のソフィア・ローレンに憧れ、女優への道を志したといわれる。

 芸能界入りを両親は猛反対したらしいが、東京女学館短期大学に在学中の1976年、日本テレビのドラマ「愛が見えますか…」のヒロインに選ばれる。