オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年が経過した。14人の命を奪い、被害者が6000人を超えたこの事件。難航を極めた警察捜査の最重要ポイントは、猛毒の化学兵器を教団が生成したと証明することだった。
当時、警視庁科学捜査研究所(科捜研)の研究員だった服藤恵三氏が、化学兵器の開発に従事したとみなされていた幹部・土谷正実との会話を明かした。(構成・石井謙一郎)
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捜査一課長からの「依頼」
「ハラさん、土谷に会ってきてくれませんか」と寺尾正大・捜査一課長に言われたのは、4月28日のこと。逮捕された土谷は完全黙秘だというのです。
「科学の話でもしてきてください」
科捜研の職員は警察官ではありませんから、捜査や被疑者の取り調べは行ないません。科学者としての第三者的立場を確保するため、捜査員との接触さえ控えるのが普通です。ですからこの依頼は、きわめて異例なことでした。寺尾さんは、雑談に応じるきっかけでも作ってくれないかと考えたのだと思います。私も、科学を目指した者同士の話をしに行くつもりでした。
少したつと、新橋庁舎に作られた「オウム真理教押収物分析センター」の小山金七係長から電話がかかってきました。別名「落としの金七」。寺尾さんの懐刀と呼ばれた名刑事です。
「服藤先生。土谷に会うんですって? いつですか」
「今日の夕方です」
「時間がないですね。土谷の学生時代や研究のことなど、調べておいたほうがいいと思います」
とアドバイスをくれました。
すぐ大学院の研究室に電話し、在学当時の研究内容や文献を送ってもらいました。彼が研究していたのは「光による有機化合物の化学反応」。分析化学が専門の私には詳細が理解できないものの、応用範囲は広そうな興味深いテーマでした。
午後6時頃、地下鉄サリン事件の特別捜査本部がある築地署へ赴き、土谷を担当する取調官の係長を訪ねました。その調べ官が、
「ここにいる人は、偉い先生なんだぞ。お前のやってることなんか、全部わかってるんだからな。黙っててもダメだから。さっさとしゃべっちまえよ」
と私を紹介しても、土谷は目を瞑ったまま。背筋を伸ばし、まさに瞑想しているような態度です。「これじゃ、私が声を掛けても答えないだろうな」というのが、第一印象でした。私は、土谷と2人きりにしてもらいました。