「オウムは最高だった」
「面白い研究してたんだね」
大学院の研究内容から、少しずつ質問を始めました。すると目を開けて話を聞くようになり、頷いたり、返事をし始めました。
「大学院時代の研究は目標が見えなくて、ただただ日々を過ごしていた。このままでいいのかと、いつも思ってた」
「残って頑張れば、教授にもなれたんじゃないの?」
そのとき、大きく首を振って「僕なんか無理ですよ」と言ったことが、強く印象に残っています。
「博士課程にも進んだけど、教授になれるほどの能力もないし、挫折しかかってた」
そんなやり取りを続けてから、
「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」
と尋ねると、顔がパッと明るくなりました。
「最高だった。何でも好きな研究をさせてくれました」
「君の研究室を見てきたよ。いろんな機械があったね」
「お金はいくらでも出してくれました。高性能のものを揃えてました」
オウムの話題をふっても問題ないのかと驚きました。しゃべり始めてみれば、「あれっ、真面目で普通の研究者じゃないか」という印象です。しかし、ここで、再び記録係が入ってきて態度が一変します。
「サリンの文献があったけど、サリンの研究もやってたの?」
と聞くと口ごもっていき、
「実験ノートを見せてもらったんだけどね」
「……」
「沸点と融点の測定データが書かれてて、その数値がサリンのものと一致するんだけど」
と尋ねると、また目を瞑ってしまいました。
再び記録係は出ていき、また2人きりになりました。私は用意してきた白紙の束を机に広げ、サリン生成の工程や、押収した実験ノートに記録されていた反応式などを書いていきました。全て記憶していたので、その作業を淡々と続けました。
しばらくすると土谷は目を開け、反応式や科学データを気にし始めたのがわかりました。ある反応式を書き始めたとき、その過程をじっと目で追い、書き終えた式を見つめながら身体を起こし、もう一度見入ってから天井を見上げたりします。
表紙に「ウパヴァーナ」と記載されたノートに書かれていたこの反応式は、プラントの反応式とは異なるもので、私が探したサリンの文献にはない非常に特殊なものでした。
ウパヴァーナは、科学技術省サリンプラント建設責任者だったTのホーリーネーム。Tが土谷に教示を受けながらメモした式だったことが、後に判明します。
「自分が考え出した反応式をなぜ知っているのか」と、土谷はいぶかしく思ったのかもしれません。押収資料を科学的に深く読み込まなければ理解できないし、まず目に留まらない内容だったからです。
椅子から腰を上げて紙を覗き込み、また腰を下ろし、目を瞑って天を仰ぐ仕草を繰り返します。しばらくすると目を閉じたまま身体を前後左右に揺らし始め、手や指も小刻みに震えています。取り調べの経験がなかった私にも、動揺が見て取れました。
※本記事の全文(約7000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(服藤恵三「【地下鉄サリン】オウム死刑囚との『化学式』問答」)。全文では、下記の内容をお読みいただけます。

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