己の欲望がおもむくままに生き、7人もの女性を毒牙に…。人並み外れた性欲から、戦中、戦後まもない間にかけて、多くの女性を強姦・殺害した小平義雄(こだいら・よしお)。逮捕後にくだされた罰は、当然「死刑」。残り少ない人生を、彼はどう生きたのか…? 新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の最終回/最初から読む)
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「わしは人面獣心です。腰から下は獣ですよ」
増上寺でもう一つの遺体も発見されたことから、警察は余罪も厳しく追及する。小平は、この別の遺体については関与を否定したものの、これまで未解決となっていた一連の強姦殺人について徐々に話し始め、己の犯行を自慢げに語った。
──狙った女は一人として失敗したことがない。女はきちんとした身なりと優しい口を聞けば、たいてい信用するもので、皆やすやすと付いてきた。そして犯し、殺す。女の顔面を殴り、黙らせる。頸部を絞める。右手を前に、左手を後にして、両手で女の体を少し上に持ち上げる。2、3分待つ。女が鼻水を垂らし、糞尿を垂れ流す。そうして仮死状態にしてから犯す。あえて目を覚ますまで待つときもある。失禁に気づいた女に服を脱ぐように命じ、肉体に付着した糞尿を拭き取ってやる。抵抗などない。言いなりだった。女の両足を割って、その中心部に男根を突き刺し、犯す。“その瞬間”がなんともいえない。
殺しが目的ではない。殺すこと自体に興味はないし、殺す瞬間は厭なものだ。ただ犯りたいだけなのだ。
性欲がむらむらと湧いてきて、おさまりがつかなくなるだけのことである。しかし、殺してから犯すこともある。その瞬間は女性の生死にかかわらずやって来る。その瞬間において「殺されてもいいと思う」し、「日本刀で後ろから首を斬られても構わない」くらいなんともいえない──
裁判は逮捕から半年後の1947年3月3日、東京地方裁判所で始まった。早朝から傍聴者たちが押しかけ、開廷1時間半前には350枚の傍聴券は全て出尽くす。小平は黒の背広に紺のオーバー、深く編み笠をかぶり、新聞社のフラッシュの中をくぐりつつ入廷。被告席で編み笠を脱ぎ、神妙な顔で着席した。
検察の起訴事実は10件の強姦殺害と30件の婦女暴行。このうち小平は渋谷区の元東横百貨店別館地下室で17歳の女性が殺害された事件(1945年11月1日)、芝区(現・港区)の運送会社廃自動車置き場で国民学校高等科2年の女子生徒(同15歳)が殺害された事件、緑柳子さんの遺体が見つかった同じ増上寺で絞殺体で発見された17、18歳の身元不明の女性の計3件については「覚えがありません」と否認したものの、それ以外の起訴内容については素直に認め、「戦争のときはわしよりむごいことをした連中を知っていますが、平和なときにわしだけひどいことをした者はいないと思います。全く人間のすることじゃありません。わしは人面獣心です。腰から下は獣ですよ」と語った。