食料、就職難につけこんで7人の若い女性を強姦・殺害…。人並み外れた性欲から、戦中、戦後まもない間にかけて、多くの女性を“食い物”にした小平義雄(こだいら・よしお)。
これまで己の欲望のおもむくままに犯行を繰り返していた小平だが、ついにそれも終わりを迎える。狡猾な男が警察に捕まった経緯とは? そして取り調べで語った、世にもおぞましい犯行手口とは? 新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の3回目/最初から読む)
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殺した女性の遺体にわいせつしたことも…
1945年8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下され、14日に日本は降伏を要求する連合国のポツダム宣言を受諾。
15日正午、ラジオから天皇陛下による玉音放送が流れる。
当時、小平は妻子の疎開先である富山の不二越鋼材東富士製鋼所で守衛の仕事に就いていたが、9月21日に退社。富山の薬をかき集め東京で一儲けを企む。しかし、薬は思うほど売れず、憂さ晴らしも兼ね、また動き出す。
昭和天皇がマッカーサー元帥をアメリカ大使館に訪問した翌日の同月28日、東京駅で友人を待っていた出版社経理事務員の松下ヨシ江さん(同21歳)に声をかけ、食料を餌に前回と同じ北多摩郡清瀬村の雑木林に誘い込んだ。
異常な雰囲気を察し帰ろうとする松下さんを脅し、衣服が濡れるのを嫌がった彼女を「籠かつぎ」と呼ばれる体位で強姦する。が、行為の最中、すぐ側で栗拾いをしている子供の声が耳に入ったため、慌てて声が出ないように松下さんの首を絞め殺害。息をしなくなったのを確認してから、改めて屍姦に及び、現金300円と、彼女が物々交換のために持って来ていた縮緬洋服を奪い逃走した(松下さんの遺体は11月5日に発見されている)。
その後、小平は富山に戻り、妻の弟が経営する運送会社を手伝った後、親子3人で上京。渋谷区羽沢町(現・同区広尾三丁目)に居を定める。しかし、性の衝動は収まることを知らない。