たった2ヶ月の間に、4人の女性を強姦殺人…。戦中、戦後まもない間にかけて、多くの女性の命を奪った元軍人・小平義雄(こだいら・よしお)。なぜ女性たちは彼にだまされ、命を落としたのか? 小平の巧妙かつ非道な手口を、新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の2回目/最初から読む)
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たった2ヵ月で4人を強姦殺人した男
最初は、日本の敗戦が決定的となっていた1945年5月25日、当時、小平が勤務していた海軍第1衣糧廠で女子挺身隊員として働いていた宮崎光子さん(同21歳)が餌食となった。小平が彼女に性的関心を覚えたのは犯行の2、3日前。宮崎さんが「盲腸の手術で入院していたため風呂に入ることができなかったので、体を拭きたいからお湯をください」とボイラー室に入ってきたときのことだ。
お湯をバケツに入れボイラー室を出た小平は、閉めた扉の穴から彼女の動作を覗き見る。最初は手拭いを上着の下に入れて拭いていた宮崎さんだが、やがてズボンを下げ腿のあたりを拭き始めた。このとき欲望のスイッチが入った。
25日、宮崎さんが再びボイラー室を訪れる。なんでも、今夜の列車で母の疎開先に向かい、そこで養生することになったので報告に来たのだという。小平のことを優しい人間と思ったのだろう。それから小平は彼女と一緒に食事し、いったん女子寮の自室に引き上げた宮崎さんの後を追い、部屋を訪ねる。彼女は何の不信感も抱かず、小平を室内に招き入れた。
何時の列車に乗るのかなど、他愛もない会話を交わしながら機会を伺い、周囲に人気がないことを確認したうえで、ストレートに性交渉を頼んだ。「おじさん! 冗談は言わないでよ」と拒む宮崎さん。途端に小平は頭に血を上らせ、逃げる宮崎さんの首を絞める。
ほどなく彼女が気絶したため、煙草をふかしながら覚醒するのを待った。宮崎さんは目を覚ますと観念したのか、自ら衣服を脱いだ。躊躇なく強姦し殺害。遺体は中庭の防空壕へ捨てた。事件はすぐに発覚したものの、憲兵隊が別の男に嫌疑をかけたタイミングを見計らい、小平は退職。そのまま行方をくらます。
第二の犯行は1ヶ月後の6月22日。
栃木県の東武鉄道栃木駅で、「頭を束髪にして、綺麗なモンペをはき、一見大家の奥さんふうの器量のいい女」(後の小平の証言)の主婦・石井ヨリさん(同30歳)を見かけ、声をかけた。