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「昭和最悪のレイプ魔」の最期

 同年6月18日の判決は死刑。東京高裁も控訴を棄却し(1948年2月27日)、最終的に最高裁が上告を退けたことで、同年11月16日、小平の死刑が確定する。

 判決直後は粗暴な態度が目立った小平だったが、面会に来た妻が自責の念を抱いて号泣したことや、教誨師との交流を深め、しだいに改心。1949年秋に身柄を東京拘置所から死刑執行装置のある宮城刑務所に送られ、処刑日を迎える。

 同年10月5日。この朝、小平は午前6時起床。朝飯を食べた後、そぼ降る秋雨を眺め、教誨師に「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」と語った。9時半、教誨堂で刑務所長に宣告を告げられ、饅頭を「うまい、うまい」と食べ、タバコの「ひかり」をゆっくりと吹かした後、教誨師の読経に静かに頭を下げ、被害者たちの冥福を祈念。

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写真はイメージ ©getty

 その後、妻に充て便箋2枚に「自分は荘厳な気持ちですべてを清算し、静かな気持ちで死んで行きます。長い間、お世話になった人々によろしくお伝え下さい。家族の者もどうぞ天命を完うしてください」とする遺書と「亡きみ霊、赦し給へし過去の罪、今日を最後に深く果てなん」という被害者への謝罪の念を込めた辞世の歌を残してから処刑台に立った。9時50分絞首刑執行。10時2分絶命。享年44だった。