「大女優になるより、いさぎよく生きたい」――生前、そんな言葉を残した女優・夏目雅子さんだが、彼女の生涯は27歳のときに終わりを迎えてしまう。最愛の妻の喪失に悩み、見事復活した夫・伊集院静さん、がん治療による脱毛に悩む人たちを救うため「夏目雅子ひまわり基金」を設立した実兄など、後世にまで影響を与えた夏目雅子さんの人生を、新刊『スターの臨終』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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夏目ら俳優陣や篠田正浩監督をはじめとするスタッフが、ロケ地となった徳島県阿南市立新野小・中学校の共用グラウンドに集まった。参加した地元エキストラは子どもを含めて約300人。その時撮った記念写真がある。割烹着の女性らの中で、野球帽の夏目が笑っている。強烈なエロチシズムを持ちながら、品格を漂わせていた夏目に、周囲の人は爽やかな感動を覚えたに違いない。
さらに、同作の撮影中には、ホームシックの子役らと一緒に風呂に入ったり、漢字の勉強を手伝ったり……。人気女優とは思えないほど、気さくで思いやりのある人だったという。
単なる美しい女優ではなく、演技がしっかりしていて芯もあったのだろう。うるさ型の映画監督からの評判もよく、「再び使ってみたい女優」としてはナンバーワンだったそうである。
「公演をやめろと言うなら死んでやる」
1985年2月、西武劇場(東京・渋谷)の2月公演「愚かな女」で主役を務めていた夏目は疲労感を覚え、同14日夜、前述した都内の病院で医師から入院を宣告された。公演は中止になった。このとき「公演をやめろと言うなら死んでやる」と夏目は叫び、泣き崩れたという。
筆者も14年前にがんになり、病巣を手術で摘出。放射線治療も始め、一度は落ち着いたかと思ったが、数年前から再び様子が悪くなった。がんが再発し、ステージも上がったことを主治医から告げられた。その瞬間、目の前が真っ暗になった。
夏目は病が発覚したとき、まだ27歳。しかも当時は「不治」のイメージが強い白血病である。その衝撃はいかばかりか。
この年の9月11日に夏目は旅立ち、最愛の妻を失った伊集院は激しい喪失感にさいなまれ、運命を呪い、酒とギャンブルに溺れる日々を過ごしたという。だが、そんな伊集院が這い上がるきっかけになったのが小説だった。