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夏目は生前、夫の文才に惚れ込み、多くのクリエイターに売り込んでいた。胸の中に湧き起こる無念さ、哀しみを同居させながら執筆を続けることが、伊集院にとって生きる糧になったことは間違いない。
夏目が亡くなってから8年後の1993年、実兄で会社社長の小達一雄が、がん治療の副作用で頭髪が抜けて悩んでいる患者のため、かつらを無料で貸し出す「夏目雅子ひまわり基金」を設立、同年12月1日から運営を始めた。がんには、放射線療法や化学療法、免疫療法などさまざまな治療法があるが、抗がん剤の副作用で頭髪が抜けてしまう人が少なくない。
特に女性の場合は精神的なショックが大きく、夏目も闘病中、頭髪が抜けていくのを気にしていたという。現在も、夏目雅子ひまわり基金は、病気で髪を失った人にかつらを無償貸与している。
生前に彼女が残した「3つの句」
多彩な顔を持つ夏目は、「海童」という俳号を持ち、俳句をたしなむ一面もあった。
写真家・浅井慎平が主宰する「東京俳句倶楽部」に所属していた。放浪の俳人・種田山頭火の句が好きだったという。「大女優になるより、いさぎよく生きたい」という言葉をよく口にしていたそうである。そんな彼女が遺した3句を紹介しよう。
《結婚は夢の続きやひな祭り》
《風鈴よ自分で揺れて踊ってみたまえ》
《油照り汗もなく立つ忠犬ハチコウ》
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。