吉永が考える“引き際”
そんな吉永も、歳を重ねるごとに引き際を考えることが増えたらしい。6年前の雑誌のインタビューでは、《いつまでできるかはやってみないとわかりません。幕が下りるときは、自分で感じると思うんです。そのときはやめようと思います》と述べた上、《あまり先のことは考えず、「最新作が代表作」になるように、いただいたお仕事をひとつずつ頑張っていきたいと思います》としていた(『週刊朝日』2019年10月25日号)。
このとき、《(樹木)希林さんのように、最後まで何本も出続けるのはかっこいいと思います。でも私にそういうことができるかどうか。それはわからないですね》と、その前年の2018年に亡くなった樹木希林の名前を挙げているのが目を惹く。
2歳上の樹木とはその生前、たびたび共演してきた。二人の出会いは1970年にホームドラマで共演したときにさかのぼる。まだ悠木千帆という芸名だった樹木の歯に衣着せぬ物言いに、吉永は時に戸惑いながらも胸に響くものを感じていたという。
『夢千代日記』シリーズでの樹木との共演
80年代に入ると早坂暁脚本のドラマ『夢千代日記』シリーズで、吉永は山陰のひなびた温泉地で芸者置屋を営む女性・夢千代、樹木はその置屋で働く芸者・菊奴の役で共演した。夢千代の周囲の人々はさまざまな過去を抱えており、事件も起こるが、彼女はそれを冷静に受けとめ、優しく寄り添う。夢千代自身、広島への原爆投下時に母親の胎内で被爆し、原爆症に苦しみながら生きていた。
樹木はのちに吉永との対談(吉永小百合『夢の続き』集英社文庫、2012年所収)で当時を振り返り、《やはりあの夢千代という役は、誰にでもできる役ではないんです。『夢千代日記』が成功したのは、芯の部分で決して揺らぐことのなかった、吉永小百合という役者がいたからなんですよ》と語っている。
さらにテレビシリーズのあと、浦山桐郎監督による同作の映画化(1985年)に際し、樹木はある出来事を通じて吉永の頑固さ、自分の意思を貫く芯の強さを改めて思い知らされる。それは夢千代が死の床に就いた場面を撮影中に起こった。
