きょう3月13日、吉永小百合が80歳の誕生日を迎えた。1960年代から数々の青春映画でアイドル的人気を博し、今では日本を代表する名優となった吉永。その歩みを振り返る。(全3回の1回目/つづきを読む

吉永小百合 ©文藝春秋

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吉永小百合に憧れた「サユリスト」たち

 1960年代、吉永小百合がいくつもの青春映画に主演してアイドル的人気を集めるなかで、ファンは「サユリスト」と呼ばれるようになった。学生運動華やかなりし時代であり、特定のイデオロギーの持ち主を指すマルキストやアナーキストなどになぞらえたネーミングだったのだろう。

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 芸能界ではタモリがサユリストの代表格と目される。かつてテレビ番組で、同じくサユリストを自認する作家の野坂昭如と、どちらのほうが彼女を愛しているか言い争ったこともあった。今年の正月にもNHKの笑福亭鶴瓶との特番で、これまでに吉永とたびたび映画で共演している鶴瓶が彼女の話をしようとすると、タモリがそれを頑なに言わせまいとするのがおかしかった。

吉永小百合のトークショーに並ぶ人々。「サユリスト」たちが整理券を求め、長い行列ができた ©文藝春秋

吉永との共演に舞い上がった名優・西田敏行は…

 昨年亡くなった名優・西田敏行も、1984年公開の映画『天国の駅』で初めて吉永と共演したときには、10代の頃からの憧れの人とあってさすがに舞い上がったらしい。だが、クランクイン直前になって、同年に出演していたNHKの大河ドラマ『山河燃ゆ』のワンシーンを急遽撮り直す必要が生じ、そのプレッシャーもあってか狭心症で倒れてしまう。

西田敏行 ©文藝春秋

 症状は一過性のもので、入院せずに済んだが、医者からはもしまた発作が起こったらニトロを口に含むよう釘を刺された。大河の撮り直しを終えて、いざロケ先に入ると、吉永はプロデューサーから西田の病状を聞いていたらしく、手を優しく握って「大丈夫?」と気遣ってくれた。彼はその一言で「あっ、オレ全然大丈夫だわ」と思ったという。《病は気からといいますけど、ほんとにそうなんですよね。“サユリ薬”が効いたのか、撮影中、発作は一度も起きませんでした》と振り返る(西田敏行『役者人生、泣き笑い』河出書房新社、2016年)。