名実ともにプロデューサーを務めたのは、70歳を目前にした2014年、自ら主演した『ふしぎな岬の物語』が最初だった(成島出監督との共同プロデュース)。映画化候補の小説を読んで選ぶことから始まって、主要出演者への交渉も自ら行った。

映画『ふしぎな岬の物語』(2014年)

プロデューサー業でつらかったこと

 意外にも吉永は、自分では裏方向きの性格だと思っており、『ふしぎな岬の物語』を制作する過程では《自分が前に出るより、みんなが幸せになったり、仕事をしやすい雰囲気を作る。そういうことの方が、やってて楽しく感じましたね》という(『週刊文春』2014年10月9日号)。

 ただ、一方で、《一度やってみて実感したんですが、プロデューサーの仕事は大変。撮影が終わると俳優はそこで終わりなんですが、プロデューサーはその後も長さはどうするのか、あのシーンはどうなのかと、とにかく何十回も作品を見続けないといけないんです》とものちに語っている(『週刊朝日』2019年10月25日号)。自分はともかく、ほかの俳優がしっかり演技してくれたシーンをカットするのはつらかったという。

ADVERTISEMENT

 そういう経験があったためか、公開時にはすでに、共演者の一人の笑福亭鶴瓶から「吉永さんは、自分は出演せずにプロデューサーもしくは監督をするということもありうるんですか?」と今後について訊かれると、《監督はないですね。キャスティングプロデューサーみたいな役割で関わってというのは、あるかもしれません。ただ私、お金の計算ができないんですね。(中略)ギャラの交渉とか》と自虐めかして答えていた(『サンデー毎日』2014年10月12日号)。

2006年、CD販売握手会での吉永小百合 ©文藝春秋

「映画の世界に身を置いて、みんなと一緒に働けたら」

 それでも吉永が映画の世界を愛していることに変わりはなかった。その証拠に、主演映画『いのちの停車場』(2021年)の公開時には、原作者で医師の南杏子の「この先の人生をどんなふうに生きていかれるのが理想ですか?」との質問に対し、《撮影が2ヵ月続いてもバテないだけの体力があるうちは続けていきたい。別に、俳優の仕事じゃなくてもいいんです。映画の世界に身を置いて、みんなと一緒に働けたら》と答えている(『婦人公論』2021年5月11日号)。

映画『北の桜守』(2018年)

 そのために体力づくりに余念がない。水泳を始めてすでに40年近くが経ち、近年は筋力トレーニングのためジムにも通う。長期ロケ中も、ホテルで腹筋や背筋などのストレッチを欠かさない。『北のカナリアたち』(2012年)の撮影中はエアロバイクをレンタルして毎日20分ほど漕いでいたとか。筋トレももともとは『北の桜守』(2018年)で、ソリを引いたり、背負い籠に米を入れたりと体力を要する演技が多かったため始めたという。