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もしも“AI美空ひばり”(19年)をなかにし礼や小椋佳が作っていたら……

《やっぱりプロデューサー的な資質のほうが高いですよ。プロデューサーとして、どういう歌を作るかってところから始まって、それから作詞家・秋元康に発注する感じ。この2つはもう、ハッキリ分離している。(中略)自分が阿久悠さんや松本隆さんみたいに芸術家的に評価されてないのは分かるけど、しょうがないんだよね。プロデューサーと作詞家を兼ねてるから。プロデューサーは常に客観を求められる立場だから、全くアーティスティックではない。鈴木敏夫さんがいるから宮崎駿さんがアーティストとして輝くわけだけど、僕は両方やっちゃってるから。画家と画商を兼ねてて、画商のほうが目立ってたら、誰も画家としてちゃんと評価してくれないですよ》(※1)

 きわめて的確な分析だと思う。秋元康に否定的な人はおおかた、プロデューサーとしての彼の作為性を嫌っているはずだ。そういう人には、本人がさほど意識せずにやったことでも、計算ずくで仕掛けたものに見えてしまうのだろう。また、引用した自己分析にしてもそうだが、本人がすらすらと自分や作品について解説できてしまうところが、そんな“誤解”に輪をかける。昨年の紅白歌合戦の特別企画として「AI美空ひばり」を秋元がプロデュースしたときにも、故人への冒涜だなどといった批判が出たのは記憶に新しい。そうなるのも、プロデューサーとしての秋元の存在が必要以上に目立つことに一因があるのではないか。これがたとえば、彼ではなく、なかにし礼や小椋佳(いずれも美空ひばりに曲を提供したことがある)などもっと芸術家寄りのソングライターがかかわっていたのなら、もう少し反応は違っていた気がする。

昨年9月に放送されたNHKスペシャルの企画として制作された「あれから」。美空ひばりの歌声を元に制作された「AI美空ひばり」の新曲に賛否が分かれた

「川の流れのように」は全然売れていなかった

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 美空ひばりについては、結果的に彼女の最後の曲になった「川の流れのように」に対しても、死を目前にした人にあのような曲を歌わせるのは酷だとの批判があったと記憶する。しかし秋元に言わせると、それはたまたまそうなったにすぎないということになる。