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《そもそも「川の流れのように」は、ひばりさんがシングルカットしたいというからリリースしたんだけど、それまでは全然売れていなかったんですよね。亡くなってしまって、はからずも最後の曲となり、葬儀で流れ、昭和という時代が終わったということでのBGMとなり、国民唱歌のようになり、いろんな思い出の栞になってしまったからこそ、「川の流れのように」を作った秋元康と認知され、当時何を思って作ったかという問いには「直球でやりたかったんですよ」という答が出る。でもこれが美空ひばりさんが御存命で、ここまでヒットしていなかったとしたら、誰もここまで美空ひばりさんとの関係を言及しないと思う》(※2)

美空ひばりと秋元康(88年に撮影)

AKB48、乃木坂46……秋元はどこまでコントロールしているか?

 狙っているようで、じつは狙って当てたことはほとんどない。そういう意味のことを、秋元は折に触れて公言している。アイドルグループの総合プロデューサーとしても、彼は大勢のスタッフを支配し、細かいところまで徹底的にコントロールするタイプではないように思う。むしろ、現場に一任することのほうが目立つ。AKB48では衣装制作チームがユニークな仕事をしてきたし、乃木坂46では新曲が出るたびに、ミュージックビデオの制作に気鋭の映像作家が起用されているが、それもこれも、基本的なコンセプトを決めたら(それさえはっきり決めないことのほうが多いのではないか)、あとはスタッフに任せきりにしているからこそだろう。ただ、こうした一種の現場主義は他方において、NGT48のメンバー暴行事件で露見したように、問題が生じたときに自らの責任を明確にしない態度にもつながっているような気がしてならない。

2012年当時AKB48だった高城亜樹、小嶋陽菜、高橋みなみ、前田敦子、柏木由紀と(左から)

秋元のすごさが表れた「ポケベルが鳴らなくて」(93年)

 秋元が芸術家的に評価されない理由について、彼の詞が歌い手や状況にうまくシンクロさせるがゆえ、同時代ではないとその真価を味わえない部分があるからではないか、と指摘したのは、若い頃に彼の事務所でスタッフ経験を持つ作家の岩崎夏海だ(※1)。岩崎はそうした時代や人に寄り添いすぎる部分にこそ、秋元の本当のすごさがあると評価し、例として国武万里が歌ってヒットした「ポケベルが鳴らなくて」(1993年)をあげる。言うまでもなく、ポケベルとはポケットベルのことで、一時期、連絡ツールとして若い女性のあいだでも流行しながら、携帯電話の普及とともに消えていった。もはやポケベルを知らない世代も増えたいま、《ポケベルの写真を見せられるよりも、この曲を聴いたほうが、当時の人々がポケベルってものが持っていたイメージや、その時代の空気を感じ取れるものとして、すごく貴重な歴史的遺産になると思う》と、岩崎は考察している(※1)。

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1993年7月にリリースされた国武万里「ポケベルが鳴らなくて」。日テレ系同名ドラマのオープニング曲で50万枚以上を売り上げた

 時代や人に寄り添いすぎるといえば、秋元の詞には、作家や作品名など固有名詞が出てくるものも少なくない。たとえば、菊池桃子の歌った「卒業」(1985年)には、フランスの作家サン=テグジュペリの名前が出てくる。作曲家の林哲司は、自分のつくった曲に秋元が『星の王子さま』ではなく、その作者の名前をハメ込んできたのにちょっとびっくりしたという。林いわく《明らかに『星の王子さま』って言ったほうが分かりやすいじゃないですか。(中略)企画力っていうんですかね。いわゆるアテンションですよ。あの舌っ足らずの桃ちゃんの歌でそれをやったらたぶんファンの人はたまんないだろうなとか、サン=テグジュペリって何なんだろうって関心を寄せられるところまで含めて》(※1)。

油断ならない日向坂46「ソンナコトナイヨ」(20年)

 最近でも、日向坂46の「ソンナコトナイヨ」(2020年)には、《切りすぎた前髪 奈良美智の絵だ》というフレーズが登場する。