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非核保有国である日本の“タブー”に触れた石原慎太郎の主張「米ソ中の三角関係に、日本が核保有国として加わらぬ限り…」

『石原慎太郎と日本の青春』より #3

2022/03/25

source : 文春ムック

genre : エンタメ, 芸能, 社会

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外交問題としての核保有

 そうやって中国は核を持った。持った上での意図は所詮彼らだけが知るにせよ、大きな怖るべき能力と可能性を持った核を、顕かに彼らは持っている。

 そして、保有のための能力を、中国に比べてはるかに持ちながら、日本は依然それを持たぬ。その謙虚さ、いや謙虚さの矜持を、世界中の他の誰にも理解されぬままに。

 それ故に、我々は国家の利益の本質を我々と著しく違える他国との単独の交渉においては、無力に等しい。経済の柄が大きいだけに、一層それがハンディキャップともなる。

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 どの国とは限らぬが、国家目的のために往々手段を選ばぬという国が、もし、日本の席巻(せっけん)を意図した時、その目的はこの資源の乏しい狭小な国土や、その地理的軍事性などよりも、この厖大(ぼうだい)な産業力に他なるまい。

 ならば、それを潰滅させるような核攻撃による侵略は、侵略の意味をなさず、不毛に近い国土を文字通り不毛の焦土に化した汚名の顰蹙を世界中から買うだけでしかあるまい。

 しかし、それにはるかに勝る、はるかに容易な手段はある。それは、丁度本体は小さく手足の長い女郎蜘蛛のように長く細く世界中に延び切った日本の経済の骨格をゆすぶり、本土ではなく、遠い外地において、日本経済の耳をそぎ、指をつめさせることだ。その限りで、その行動はラディカルに行なわれた方が効果があろう。

 懸念されている、中近東からのオイルルートの遮断破壊もその1つだろう。シベリヤの港外で起った、今日まで遂に、何らの釈明も聞かされぬ、勿論賠償もないソヴィエトミサイルによる第一伸栄丸射撃事件のようなケースが、いずれかの公海域で、意図された偶然によってつづいて2、3度起ったなら、或いは、インド洋のいずれかに新設され得る新基地の機密保持、演習等にことをかまえて臨検拿捕が3度つづいて起ったなら、それでなくとも就航希望者の激減している日本の海員組合はストライキをし、タンカーフリートの航行は挫折するだろう。後は予想通り、日本の備蓄は短期間で底をつき、産業は麻痺し、経済は混乱し、そして容易に社会不安が起る。

 それに抗議し、我が国の権利を主張し、問題を解決する外交交渉は、そんなに短期間ではすまず、社会不安、混乱の中で、大衆の多くは、容易にその混乱を、外交交渉に迫力を欠く現政府の責任として咎めるのだろう。その不安と混乱に呼応した間接直接の侵略が、ごく通常でごく少量の兵器で容易に行なわれることは想像ではなく、現実の可能性の問題である。

 その最も容易にあり得る事態を防ぐために、我々は、この国の防衛の発想を軍事よりも外交に置き直さなくてはならぬ。そして、今日の主体性と柔軟性を欠いた外交を本質的に是正すると同時に、その外交に迫力を与え得るバックグラウンドの造形に配慮しなくてはなるまい。

 先にのべた、純理論的核の力関係からではなし、今日の日本人の自負や懸念という形而上の要件を加えて、この点から、日本の核保有が討論されるべき時期に来ているのではないか。

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