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「母が『ジュリアーノ、本当に日本語で話してほしい』って」…後藤久美子の息子(22)が語る、“後藤・アレジ家の教育方針”

「母が『ジュリアーノ、本当に日本語で話してほしい』って」…後藤久美子の息子(22)が語る、“後藤・アレジ家の教育方針”

ジュリアーノ・アレジさんインタビュー #1

2022/07/16
note

 日本のちっちゃい子は、すごい真面目でいろんなことができるよね。僕は日本の子たちの半分ぐらいもできなかったから。僕もあんなふうに真面目になりたいと思う(笑)。 

幼少期は「レースはやらせない」という方針

ーーやはり、お父様がレーサーだっただけに、幼少時の遊びは車に繋がるものが中心に? 

アレジ ちいさなバギーっぽいのに乗ってた。お父さんに「レースはやらせないけど、これで遊んで」と言われたのをよく覚えてる。

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 お父さんから、アクセルの踏み方、ブレーキの踏み方を習ってたので、ベースは少しあったけど、あとは自分でやってみなさいって。「やり方は自分で探さなきゃダメ。自分のフィーリングで探して」って言われたの。バギーを運転しながらミラーを見て、別の車が追ってくる想像をしたりして遊んでた。 

 石がいっぱいある道を走ったりして衝突したり、バギーを壊しちゃったりしたこともあって。 

ーーインドアな子供ではなかった。 

アレジ ビデオゲームをやったり、映画を見たりとかは、あまり。たまにゲームなんかやってると、お父さんに「外に出て、なにかしよう」と言われてたから。けっこう、アクティブだった。 

ーーでは、アニメやマンガも。 

アレジ 全然。日本のそういうのもゼロ。ほんと、すべて家の外でのアクティビティだった。でも、やるのは必ずエンジンがある遊び。僕はレイジー(怠け者)だから、ランニングしたくないし、ペダルも漕ぎたくないから(笑)。エンジンがあるもののほうが好きだった。 

幼少期のジュリア―ノさんと、父親のジャン・アレジさん(ご本人提供)

ーー日本に対しては、どのようなイメージを持たれていましたか。 

アレジ 楽しいイメージ。あと、食べるものはなんでもおいしいイメージもあったし。それは間違ってなかった。でも、御殿場みたいなところがあるとは思わなかった。 

 ここに来る前は「御殿場は田舎だよ」と言われていて、すごい昔というか、京都みたいなデコレーションがされた家がいっぱいなのかなと思ってけど、そんなことなかった(笑)。