1980年代後半に美少女ブームを巻き起こした女優の後藤久美子(48)を母に、1990年代のF1界で活躍したレーシングドライバーのジャン・アレジ(58)を父に持つ、ジュリアーノ・アレジ(22)。 

 父と同じレーシングドライバーの道を進み、2021年からはTOM'Sに所属して活動の拠点を日本に移している。 

 そんな彼に、幼い頃からレースをすることを許さなかった父の信念、父が伝説のレーサーであることのメリットとデメリット、母からのサポート、日本に対する想いなどについて、暮らしてもいる御殿場にあるTOM'Sのオフィスと工場で話を聞いた。 (前後編の後編/前編を読む)

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ジュリア―ノ・アレジさん

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母・後藤久美子に、レーサーになったことを黙っていた理由

ーーレースとの出会いについて、お聞かせください。6歳あたりからレーサーを目指していたそうですが、ご両親は「まだ早い」と言って許してくれなかったそうですね。 

ジュリアーノ・アレジ(以下、アレジ) やっぱり、学校。勉強に集中してほしいから。いまはその気持ちがすごくわかる。すごく若い時から始めると、ほとんどレースだけになっちゃうから駄目。他の同じくらいの年の子供と学校で遊べなくなるし、生活が変わってしまう。お父さん、お母さんは、僕にそうなってほしくなかった。 

ーーお母様は子役として芸能界で活動をスタートしたから、そうした考えが強かったのかもしれないですね。 

アレジ そうです。僕のことを本気で考えていてくれたの。 

ーー13歳からカーティング(カートレース)を始めて、レースの世界に入られたと。 

アレジ 僕が13歳になった時に、お父さんに「ジュリアーノ、レース始めたい? 始めたくない?」って訊かれたの。僕はやりたかったから「始めたい」と答えて、そこからちょっとずつ始めて。 

ーーでも、お母様にはカーティングを始めたことは黙っていたそうですが。 

アレジ あまり言いたくなかったから、最初は内緒にしたままにしようと思ってた。けど、すぐに「なんで出かけてるの?」と聞かれちゃって。しかも、家に帰ると僕の体からはガソリンの匂いがしていたし。「なにしてたの?」「ボウリング」とか言ってた(笑)。 

 でも、お母さんにあまり嘘つきたくないし、隠し事はしたくないから、すぐに言っちゃって。最初はもちろん、良い顔してくれなかった。危ないし、学校もすごく休んじゃっていたし。 

 

 僕、成績がそんなによくなかったの。もしかしたら、学校で一番下に近かったかもしれない。それもあったから、お母さんはカーティングをやるのを嫌がってた。でも、レースを始めたら勉強はどんどんできるようになって。 

ーーレースに対するモチベーションが、勉強にも影響したと。 

アレジ そうそう。モチベーションが上がってた。レースやる前は、学校でよく怒られてたの。勉強をサボるとか、毎日必ず2、3回は問題を起こしてしまって。別の誰かに悪いことしたとかはなかったんだけど。それがレースを始めたら、急によくなった。 

 カーティングも最初は難しかったけど、ちょっとずつうまくなっていって。