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「どこにも安全なところがないぞ、と。思想がテロに近い」ウクライナ市民の意思をくじこうとした、ロシア軍の“誤算”

小泉悠さんインタビュー#1

2022/08/19
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「白人が死んで初めて惨劇として認識する」

――先ほど、市民への攻撃に触れましたね。先日、読売新聞に『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンドが「西側諸国とウクライナはロシアが攻撃目標を軍隊から市民に切り替えるとは予想だにしなかった」と書いていて、「そうか?」と思ったんです。

 というのも、小泉さんは著書『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)で、ロシア軍が意図的にシリアで市民を攻撃したことについて、その軍事的な思惑をガレオッティ(英王立防衛安全保障研究所上級研究員)の「残虐性の価値」という概念で説明していたからです。

 ウクライナでも同様のことが起きたわけですが、市民への攻撃について、ロシア軍のドクトリン(運用思想)に組み込まれていたり、議論されてきたんでしょうか? 

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小泉 ロシアの空爆理論を私はそんなに読んでいませんが、彼らの航空宇宙作戦に関する関心の多くは、西側の軍隊と真正面から戦う時のドクトリンです。ウクライナやシリアについては、言い方は悪いんですが、格下の相手をいかに屈服させるか、みたいな戦い方です。空爆のターゲティングドクトリンは、参謀本部の『軍事思想』って理論誌を長いこと読んできたつもりですが、あまり見た記憶はないです。むしろ、これは古典的な戦略爆撃の理論に近いので、ロシア軍の中で最新の理論として論じられてない感じがします。 

 ただ、ロシアの軍事理論全体で、軍隊でなく住民をターゲットにする思想はあります。特に2010年代以降、盛んに論じられるようになりましたが、要するに住民の意思を恐怖でコントロールすることを狙うわけです。だから、テロに近いんですよね。こういう思想で、普通は空爆が手段として出てきません。

ロシア軍の攻撃を受けるウクライナ・リビウ

 今回の件で「ロシアがこういうことをするとは」とジャレド・ダイアモンドが思ってるなら、ずいぶん西側世界しか見てないと思います。実際にロシアはこういうことをシリアで7年やってたのに、中東に対する視野がないというか、白人が死んで初めてみんな惨劇として認識するのは非白人として面白くない想いがある一方で、シリア情勢で日本人もそんなに怒ってなかったですよね。ウクライナがこうなると、途端にみんな気にしだしたのはなんだっていう気も僕はあります。

ロシアはウクライナを舐めていた?

小泉 ロシアを見てる人間としては、昔からやってましたと思うし、多分NATOの軍人たちもロシアが都市を落とす時にこうやるのは知っていると思いますし、ウクライナがこれを予測できなかったとは僕は到底思えない。 

 ウクライナの参謀本部はかなりロシア軍の活動を見ているし、シギント(通信傍受による諜報活動)部隊が電波情報を傍受しています。ロシア軍の演習に関して、スウェーデンやウクライナといった隣接国の防衛研究所が出してくるレポートが詳細まで踏み込んでいて、黒海から地中海に出てくるロシア艦隊の動きを結構見ています。だから、ウクライナはシリア情勢も相当分かっていたと思いますよ。 

 シリアでロシアは「残虐性の価値」を思う存分発揮したけど、結局これはニアピア(同等に近い)の戦いではなかったわけです。つまり、敵は武装勢力だから手強いけど、ロシア空軍の活動を妨害できる力を持っていない。散発的に飛行場をドローン攻撃するとか、それくらいです。ロシア軍もワグネル(プーチン政権と関係の深い民間軍事会社。英語風にワーグナーとも)を除いて、最前線に大部隊を送り込んだわけでもない。

 でも、今回は多分シリア作戦のつもりでウクライナに殴りかかったら、全然違う相手だった。ウクライナも8年前の紛争では本当に弱かったんだけど、この8年でめちゃくちゃ筋トレしたわけです。そこはロシアがかなり舐めていた部分もあると思います。 

現代ロシアの軍事戦略 (ちくま新書)

小泉 悠

筑摩書房

2021年5月8日 発売

「どこにも安全なところがないぞ、と。思想がテロに近い」ウクライナ市民の意思をくじこうとした、ロシア軍の“誤算”

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