文春オンライン

《コロナに翻弄されたエース》プロ注目の球児たちは“コロナ禍の甲子園”をどう戦い抜いたか? 時には「きつい…」と本音を

コロナと甲子園 #2

2022/08/13
note

京都国際・森下投手を悩ませたコロナの後遺症

 森下の苦難はこれだけでは終わらなかった。森下自身、コロナに感染したことによる後遺症で、彼の利き腕である左ひじ付近の炎症が完治しない事態に陥った。今年の春の公式戦の登板は、京都大会二次戦トーナメント1回戦の日星戦で2番手として3回3分の1を1失点に抑えた1試合だけ。その後に左ひじの違和感を訴えたことで、練習試合を含めて登板する機会は一度もなかった。

 森下が次の登板機会を得たのが、夏の京都予選の準決勝の乙訓戦。7月上旬に左ひじは完治し、2ヵ月半ぶりのマウンドで3回を1失点に抑えた。続く決勝の龍谷大平安との試合では、先発して6回を4安打1失点に抑え、チームは6対1で勝利して見事に2年連続の夏の甲子園出場を決めた。

 だが、甲子園では実力の片りんすら見せられなかった。大会初日の第3試合で一関学院との試合で森下は先発したものの、3回を投げて5安打4失点で降板。1年前の甲子園で記録した最速144キロのストレートは鳴りを潜め、130キロ中盤まで落ち込み、ウイニングショットであるスライダーにはキレがなく、そのほとんどが高めに浮いていた。明らかな投げ込み不足で、岩手予選の決勝で盛岡中央の最速152キロ右腕の斎藤響介を倒して代表の座をつかんだ一関学院打線を抑えることができなかった。

ADVERTISEMENT

京都国際の森下投手 ©️時事通信社

「プロに行くために京都国際を選んだ」これからの森下

 1年前の夏、森下は京都予選が始まる3日前に足首を捻挫し、以降は満足に走り込みが行えずにいた。それでも先発にリリーフに奮闘し、チームをベスト4に導く活躍を見せた。2年連続で夏の甲子園に出場したものの、万全のコンディションで投げられなかったことは悔いを残したに違いない。彼もまた、コロナに翻弄された選手の1人と言っていい。高校野球は終わったが、この先は高いステージを見据えている。

「プロに行くために京都国際を選んだ。高校3年間の経験を活かし、将来は侍ジャパンで投げることが目標です」

 森下はこう話す。高校で味わった悔しさは、プロの世界でぶつけるつもりでいる。