プロ野球「日本ハム」の新監督に新庄剛志(49)が就任した。私は新庄の「恩師」で、2020年2月に84歳で亡くなった野村克也氏に生前何十時間にもわたってインタビューを繰り返してきた。野村氏には様々なことをお伺いしたが、その中には愛弟子である新庄についての鋭い分析もあった。ある日、何かのはずみで「もし新庄さんが監督になったら」と聞いたことがある。野村氏は「彼は長嶋と同じで直感力が鋭い」と自身の永遠のライバルである長嶋茂雄さんと比較して、「監督・新庄」の可能性について語ったが、同時に「まっ、彼が監督になることなどあり得んだろうが……」と言い添えることを忘れなかった。
しかし、事実は小説より奇なり。自ら「BIGBOSS」と名乗る新庄は早くも球界の台風の目になりつつある。生前の野村氏の言葉から、新庄監督の可能性について探る。
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敬遠のボールをレフト前へ打ち、サヨナラヒット
1998年のシーズンオフ。当時の新庄は20代後半に入って、プロ野球選手として脂の乗っていかなければならない時期だった。もう一段も二段も上のレベルでプレーしてもらわなければ困る。野村は本気で彼の成長を願っていた。
99年シーズンに入ると新庄は躍動した。前年の不振がまるで嘘であるかのように、グラウンドで輝き続けた。この年、阪神は開幕ダッシュに成功し、6月になっても中日と並んで首位を快走、新庄は4番を任されていた。
迎えた12日の甲子園球場での巨人戦。4対4で迎えた延長12回裏、1死一、三塁で新庄に打席が回って来た。巨人ベンチはこの日ホームランと三塁打を放っていた新庄に対して勝負を避け、満塁策をとることを決意。そこで「事件」は起きた。
初球ボールのあとの2球目。外角のボール球を思い切り踏み込み、両腕を伸ばして緩い球をとらえると、打球はショートの二岡智宏の左を抜けてレフト前へ、サヨナラヒットとなった。
長嶋ならではのエンターテイメント精神が新庄を救った
この日からさかのぼること2日前、前日の広島戦で敬遠された新庄は、野村と柏原純一打撃コーチに、「敬遠球を打っていいですか?」と訊ね、本気で敬遠球を打つ練習をしていた。柏原は1981年7月19日の平和台球場での西武との試合で、敬遠球をレフトスタンドへホームランしたという離れ業を持っていた。柏原は、「そんな場面がやってきたら、ベンチを見ろ」、野村は「今度な」と声をかけた。結果、新庄はヒーローとなった。
この結果に巨人ベンチは黙っていなかった。当時の原辰徳ヘッドコーチと捕手の光山英和は、「新庄の足がバッターボックスから出ていた」と猛抗議。たしかに写真や映像で見ると、新庄の足は出ているようにも見える。だが、この抗議に終止符を打ったのは、長嶋茂雄監督だった。
「中途半端だったけど、おそらく出ていないでしょう」
長嶋も現役時代に敬遠球を打って二塁打という記録を残している。敗戦しても潔く「出ていない」と言ったのは、長嶋ならではのエンターテイメント精神の表れだった。