「そうですね」はタブー。頭を使って面白い発言をしなさいと促す
この試合の直後のヒーローインタビューで新庄は、「明日も勝つ!」と断言。だが、翌日はルーキーの上原浩治に3連続三振を含む5打数ノーヒット。チームも敗れ、阪神は徐々にチーム成績が下降線をたどっていく。結局、99年、2000年と2年間は最下位と低迷。一方の新庄は、2000年に打率2割7分8厘、キャリアハイとなる28本塁打、85打点をマーク。「野村監督のおかげで力を引き出すことができた」という言葉を残して、この年のオフにFAでニューヨーク・メッツへと移籍した。
3年後の03年秋、メジャー経験を経て、新庄が日本の球界復帰で選んだ球団は古巣の阪神ではなく、翌年から札幌に本拠地を移し、5位に低迷していた日本ハムだった。北の大地の人々はスター選手の入団に大いに沸いた。札幌一の繁華街のすすきのでは、夜の商売に勤しむ人の間で日本ハムの応援団が結成され、今までプロ野球をあまり知らなかった女性の間でも、「新庄」の名前は浸透していく。
シーズンが始まると、新庄は縦横無尽にグラウンドを駆け回り、ファンを楽しませた。04年はキャリアハイとなるシーズン150安打を放ち、前年5位だったチームを3位に浮上させた。2年後の06年4月18日に突如として引退宣言をした後は、森本稀哲らを中心とした若手選手たちにリップサービスのイロハを伝授した。
試合で勝利し、ヒーローインタビューを受けている若手選手がお立ち台でしゃべっている様子を、新庄はベンチの最前線で聞いていた。つまらない発言をしようものなら、徹底的にダメ出しをした。
「そうですね」という言葉はタブー――。
頭を使って面白い発言をしなさいと促す――。
意気込みを語るときでも、「頑張ります」ではなく、「楽しみます」と答えさせる――。
ハーレーダビッドソンで入場、地上50mからゴンドラで落下する「新庄劇場」が話題に
新庄の「楽しむ」には、大舞台で緊張してしまう状況を楽しんで、100%のパフォーマンスを発揮しよう、という意味が込められていた。チームが負けてベンチ内が沈んでいると、仲間に向かって、「この状況を楽しんでいるの、オレだけ?」と訴えかけることもたびたびあった。
この年のシーズン終盤、起用法を巡って監督批判をして謹慎処分を受けていた金村暁が日本シリーズ第4戦で登板する直前、「今日の試合は楽しめないかもしれません」とこっそり新庄に言った。すると新庄は「そのときはオレが後ろから蹴りを入れる」と返した。結果、金村は中日打線を5回を0に抑えて見事に勝利投手となった。「新庄さんの言葉が力になりました」と金村は後に語っている。
現役最終年となった06年、新庄は若手の成長を見守り続けた。目立つことが大好きな彼がヒーローインタビューでお立ち台に立ったのは、わずかに2回という数字がそのことを表している。試合前にゴレンジャーに扮装したり、ハーレーダビッドソンで入場したり、地上50メートル地点からゴンドラで落下してくるなど、「新庄劇場」と呼ばれるパフォーマンスも大きな話題となった。