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1年半の闘病を乗り越えて…元ヤクルト・日高亮が夢見る日本シリーズ古巣対決

文春野球コラム クライマックスシリーズ2022

2022/10/14
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傘をさっと差し出してくれたある選手

 今からちょうど10年前のある日。試合後の取材をひと通り終え、神宮球場に隣接するヤクルトのクラブハウスを後にしようとしたところ、突然の激しい雨に見舞われた。あいにく傘は持っていない。途方に暮れて軒先で雨宿りをしていると、1人の選手が通りがかりに「どうしたんスか? 傘持ってないんスか?」と声をかけてきた。

「持ってないんだよね」と肩をすくめてみせると、その選手は「僕、ありますよ」と言うが早いかクラブハウスに取って返し、ややあってビニール傘を手に現れた。「よかったらどうぞ」。そう言って、手にしていた傘を差し出してくれたのである。

 何でもないようなことではあるが、そこまでする選手はなかなかいない。まだ若い彼の気遣いにいたく感激したのをよく覚えている。当時22歳のその選手の名は日高亮。大分・日本文理大付高からドラフト4位で入団し、4年目のこの年、2012年はチーム最多の66試合に登板した。

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 6月20日のロッテ戦(神宮)から7月1日の阪神戦(神宮)にかけては9試合連続で登板し、その時点で1点台の防御率をキープ。女性ファンから「日高きゅん」と呼ばれたベビーフェイスとは裏腹にキレのいいストレートをグイグイ投げ込み、CS進出にも大きく貢献した。

「日高きゅん」の現在地

現在の日高亮さん。愛犬はスワローズのユニフォームを纏う(本人提供)

 それから10年──。2014年の途中でソフトバンクにトレードされた日高は、翌年限りで華やかなプロ野球の世界に別れを告げ、現在は夫人と生まれたばかりの長男の3人で、福岡で平穏な日々を送っている。

「福岡、いいですよ。ちょうどいいというか住みやすいです。妻も福岡出身で、(自宅が)妻の実家から近いので、子育てとかもすごい助けられてます」

 電話の向こうから聞こえてくる声は、10年前と何も変わらない。だが、この数年の間に彼は想像を絶するような経験をしていた。最初に“異変”を感じたのは、会社員として勤め始めて4年目を迎えていた頃のことだったという。

最初に感じた“異変”

「仕事をしながら、めまいがしたりとかがずっとあって。それで2019年の冬だと思うんですけど、救急車で運ばれたんですよ。その時にメニエール病って言われたんです、めまいの原因が」

 メニエール病とは「難聴、耳鳴、耳閉感などの聴覚症状を伴うめまい発作を反復する典型的な内耳性めまい疾患」(『メニエール病・遅発性内リンパ水腫診療ガイドライン2020年版』より)であり、プロ野球では侍ジャパンの栗山英樹監督が現役時代に患っていたことで知られている。ところが薬の服用を続けても、日高の症状は一向に改善しなかった。

「それで何か月後かにもう1回精密検査をしたら、脳に影があるって言われて……。そこからまたいろんな検査をして、病気が分かったのが2020年の5月です。想像もしてなかった病気でしたし、そんなのがあるんやって初めて知ったぐらいだったんで、驚きました」

「苦しいとかじゃなくて、もうだるいし何もできない感じでした」

 医師に伝えられた病名は中枢神経原発悪性リンパ腫。脳にできる悪性腫瘍で、中高年に多く発生する傾向にあり、日高のように30歳前後で発症するケースは稀だという。

「そこからは仕事を休職して、ずっと入院して抗がん剤治療っていうのを続けました。もう、めちゃくちゃしんどかったです。副作用もありました。吐いたりとか、あとは髪の毛が全部抜けたりとかですね……」

 その過酷さは想像するに余りある。抗がん剤治療は1年近く続き、昨年3月には自身の造血幹細胞をあらかじめ採取・保存しておき、大量化学療法施行後にそれを投与する「自家造血幹細胞移植」の手術を受けた。

「テレビでよく見るクリーンルーム(無菌室)で、点滴で繋がれてっていう感じだったんですけど、体のダメージがすごすぎて……。抗がん剤で細胞がほとんど死んでるので、白血球とかもゼロに近い状態でもう免疫ゼロの体なんですよ。だから手術の後も全然動けない、ベッドからも起き上がれないっていう感じで、苦しいとかじゃなくて、もうだるいし何もできない感じでした」

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