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リーグ優勝の瞬間、6連敗の試合後…ヤクルト・山田哲人の“涙”の意味

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/09/29

優勝決定直後に号泣していた山田哲人

 歓喜に沸く神宮球場――。その瞬間、バックスクリーンの大型ビジョンに映し出されたのは、涙にくれる山田哲人の姿だった。紆余曲折の果てに、1992年、93年以来となるリーグ連覇を決めた。その直後、キャプテンは人目をはばかることなく泣いていたのである。

 山田が、ここまで感情を爆発させたことがあっただろうか? 3度のトリプルスリーに象徴されるどんな偉業を達成しても、どんなにピンチのときでも、常に黙々と、そして淡々と自分の持てるすべてを発揮することに徹しているように見えた。その山田の中で、このとき何かが爆ぜたのだ。

 喜びにあふれ、興奮の絶頂にあった僕も、「山田の涙」を見た瞬間、感情が爆発した。この瞬間の彼の姿によって、僕もまた涙が止まらなくなった。山田は苦しかったのだ。辛かったのだ。そして、このときだけ、ようやくその重圧から解放されたのだ。そんなことが垣間見える瞬間だった。

涙を見せた山田哲人

(あの山田哲人が泣いている……)

 それは、自分でも意外なほどショックの大きい一大事だった。しばらくして、2015年以来となる、球場内でのビールかけが始まった。赤い縁取りの大きなゴーグルを装着し、山田がインタビューに答えている。このとき、青木宣親、ホセ・オスナ、ドミンゴ・サンタナ、塩見泰隆、そして村上宗隆らがインタビュー中の彼の背後に忍び寄り、祝福のビールを大量に浴びせている。

 野手陣たちも、キャプテン山田の苦悩と努力を肌で感じていたのだろう。先ほどまでの涙とは一変して、その表情はとても明るく、「やめて~」「しゃべらせて」と笑顔で山田は応じている。

「(今シーズンは)ほとんどが、正直苦しかったですけど、周りの人に助けてもらって感謝の1年です」

 このとき、山田はこう答えた。僕はその問答を幸せな気持ちで見つめていた。しかしその数時間後、彼が口にした「苦しかった」という言葉の重さ、そして「周りの人に助けてもらって」というフレーズの本当の意味を知ることになったのだ……。

涙を浮かべながら、「助けてください」と山田は言った

 翌朝のスポーツ新聞は、全紙に「ヤクルト連覇」の文字が一面に躍っていた。ファンとしては当然、全紙を購入し、前夜の興奮を追体験していた。その中で、気になる記事があった。『サンスポ』の「村上宗隆独占手記」と「山田哲人×塩見泰隆対談」である。村上の手記には「哲さん」と呼ぶ山田について、こんな一文がある。

〈哲さんの涙は絶対に忘れません。6連敗となった8月11日の広島戦後、選手だけでマツダスタジアムのブルペンに集まりました。選手の輪の前で哲さんが目に涙をためて「助けてください」と頭を下げました。あんな表情で、あんなことを言う姿は初めて見ました〉

 村上の言葉を脳内でイメージする。以前、取材の際にマツダスタジアムのブルペンで撮影をしたことがあるけれど、試合後にあそこに選手たちが集まって、そんなやり取りが行われていたのか……。一方、「山田×塩見対談」には、村上が口にした「ミーティング」について、こんなやり取りが掲載されている。